HARUKUNI_YAMAMOTO/山本晴邦

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理不尽の先。

繊維業界に入隊したばかりの頃、自称天才だったアホの僕は物事の大枠やその真理を知りもしないのに、上司やお客様から向けられる指示などにいちいち憤っていた時期があった。『言われたことをやる』ということ自体に抵抗があったのかもしれない。なぜそうだったか、その頃はそれがロックだと思っていたとしか説明できないが、仕事に人生を切り売りしてやっているという感覚が無駄に反抗心を生んでいた。そんな態度だったので、言われることにいちいち「何でそれやるんですか?それは僕の仕事ですか?」みたいな感じの、自分の意見と称した無駄なカウンターを打っては人を困惑させていた。面接で自称天才を名乗った大型新人風はただのアホかもしれないと採用担当者(現社長)の眉毛を八の字よりもさらに角度がついたものにしてしまっていた。時代が良かったため、そんなアホでもすぐに切られず、いくばくか強制的な屈辱を味合わされながら、ようやく『理不尽』だと思っていた自分に向けられた刃が、それぞれの正義の上に立つ目的あるものだと少しずつ理解できるようになっていった。尖ってたあの頃のお前が良かったっていう人もいるけど、それはそれとして、僕自身も自分の目的をどこに置くかがはっきりした上で、悪意ある理不尽に対してはエネルギーを割かなくなっただけだ。もうそんなに若くないし。振り返ってみると、作業現場で知識と技術を身につけて、実際の営業現場に入るのは大変意味のあることだった。その知識と技術をお客様のためにしっかり使えたならば、だけど。知識や技術が身に付くというのは、一方で、保身のために強い説得力を持つことにもなる。つまりお客様からのリクエストに応えるためではなく、それをねじ伏せる力も持つということ。上司やお客様から向けられた指示や依頼に対して『理不尽』だとフィルタリングしてしまえば、せっかくの知識や技術は相手を諦めさせるための方便になってしまう。これは身をもって経験した上で、自分の周りから人を遠ざけた。ある日眉毛を八の字にした前職当時の採用担当(現社長)は僕に言った「やまちゃんな、お前の主張は正しいかしらんけど、金のために頭下げてくれへんか?」これは当時の僕にとって人生最大の軽蔑を伴った感情を生んだけど、僕一人のしょうもない正義で船を沈めるわけにはいかない立場の人間からしたら、どうやってこのアホにわかってもらおうか一生懸命悩んで絞り出した懇願だったと推測する。立場を利用して上下関係を作ろうとしてくる人は嫌いだけど、実際立場がある人からしたら、末端平社員に対して「頭を下げてくれ」ってお願いするのは大変勇気のある発言だったと今は思う。最近はネットでなんでも知識が手に入る。繊維業界での知識もまた同じく簡単に手に入るけど、実務者が積み上げた中での一部発信を上澄だけすくって、さも自分の経験のように語る実務経験がないフェイク野郎も多数存在する。厄介なのはこの人たちに悪意がなく、奥行きがないまま業界のためだと言い切り教えを流布してしまうこと、そして見た人たちがそれを盲信し、知識として取り入れた上で、現場を守る的な角度でクライアントからの依頼や指示に『理不尽』のフィルターをかけてしまうこと。もちろん、誰がどう見ても明らかな理不尽はある。ただそれを仕事として割り当てられて滅私奉公が如く遂行している人もいる可能性はある。その組織の中では理不尽も正義である可能性もある。理不尽だと思ったリクエストが、実はやってみると現場を大きく躍進させる可能性だってある。間違いだと思うことに声を上げるなとは言わない。主義主張は大いに結構である。それがなければ新しいことも生まれないし。でもちょっと冷静に、自分の正義が間違っている可能性もあるという目線があると、成長は早いかもしれない。間違いは誰にでもある。仕事の上で正解は一つじゃないけど、自分だけが常に正しい保証なんてない。僕が『理不尽だ』と感じていたものは、そういうものを教えてくれた気がする。

横。

だいぶ時間が経ってしまったけれど、新社会人の皆様、特に同業界の皆様、ご入隊おめでとうございます。繊維業界の荒波、またはときにそれが許されるんだっていうベタ凪を共に楽しんで波乗りしていきましょう。GW前であと一週間ほど気張る必要はあるけれど、知らない人たちと知らない仕事をしているとだいぶ疲れたこの3週間だったのではないかと思うので、連休明けからのアクションも含め来週の助走と、少しだけその背中を押すことができたら幸いと思い、勝手ながら僕からメッセージを送りたいと思います。求められてないかもしれんけど。自分語りをするのは老害感出てしまうからアレだけど、振り返れば20年、この千駄ヶ谷を中心に繊維業界の川上から中下付近まで色々と見てきて思うのは、世間(業界)は狭いということ。良くも悪くも、実務を通して受け取られた印象で人の噂が流れる世界なので、相手との関係構築は非常に重要なスキルであると考えている。お客様も仕入先様も、または社内でも、実権に近い人は概ね会社の中でエラい人だしだいたいが目上の方。物事をスムーズに進めたければこれらの人々に気に入っていただけるかどうかで変わるし、その後の実務遂行や業界キャリアにも大きく影響する。個人的体感としては、生え抜きでのしあがった実力者の多く(とは言え全体の中では少数の人たち)は基本的に『尖り』を好む傾向にある。仕事なので当然成果物評価はある。その成果物評価を上げるには相手が望むことの解像度を上げて取り掛かる必要がある。相手が望むことの解像度を上げるにはコミュニケーションを多くとる必要がある。この、コミュニケーションを多く取るアクションがルーキー時代は難しい。仕事は降りてくる(与えられる)ものだという感覚があると、彼らの好む『尖り』はなかなか出てこないかもしれない。昨今は属人リスクを避けるためにフォーマット化されていく業務が増え、通り一遍マニュアル通りにやっていれば給与が担保されるようになった。それは素晴らしいことかもしれない。でもそれで済む仕事ならおそらくその人である必要もなくなる。誰でも良いならあなたである必要もないので、そう考えるとやはり『尖る』のは有利に働く可能性が高い。一方で、中には上という立場を利用して上下関係をしっかりつくって理不尽な評価をしてくるような人もいる。というか多い。これは困った現象だけど、時代がつくったモンスターたちはその立場を守るのに必死だから仕事のための仕事のための仕事の・・・を執拗に求めてくる。それが彼らの『仕事』なので、不満は多くストレスも溜まるけど、そいつ多分そんなに仕事できないし会社としては仕方なくそこに置いてるだけだからあんま気にしなくていいよ。簡単にクビにできないからさ、会社って。この属性を見誤るとちょっと後が面倒になるから気をつけてね。ヒントはゴールが見えない仕事の投げ方してくる人。地雷の確率高い。ルーキーの時はそもそも仕事のゴール自体がわからないってことの方が多いからとりあえず従うのがセオリーなんだろうけど、そのうちわかるようになってくると思う。冷静に俯瞰して、どう考えても筋が通らないことを押し付けてくる場合は、きちんと筋の通った自分なりの意見を言ってみるといいと思う。答えに困るから。そんな時に「俺は部長だぞ!」的な、上下の立場を利用した内容とは無関係のゴリ押しをしてきたら、「だったらなんですか」くらい言ってもいいかもしれない。ゴマをする必要は特にない。その人はそれしかできないだけ。多少生き辛くなるかもしれないけど、誰からも好かれる人はいないので、そういう人もいるなっていうセンサーが働くようになるための経験だと割り切って前に進もう。逆に、仕事を楽しんで案件も事欠ないパワフルな実力者はゴマスリを好まない気がする。変に謙りすぎると、意図せず言葉が丁寧になりすぎて内容がぼやける。要件をクリアにするためにも、適度に距離を詰めて言葉遣いがコミュニケーションのノイズにならないよう心がけたいところ。ものづくりの現場の人たちとの接し方は電子テキストのやり取りだけで済ませるのは特におすすめしない。現場は肉体労働も伴っているので、常に端末のそばにいるわけじゃないし、顔が見えない相手を基本的には信用しない。熱を感じられない案件は後回しになる。仕事でそれはダメだろと思うけど、彼らなりの筋を通すべき相手が他にいるから、一見さんでサラッと依頼(それが少しでも無理が絡んでいれば尚更)をメールで受けたところで、「誰やこいつ」でスルーされる。現場に出入りする人間には勝てない。だからこそ適宜現場に行くなり、電話するなりで熱を感じられる付き合い方を続けていくと、良好な関係が生まれてくる。もちろん手ぶらじゃなくて依頼案件も必要だ。数字もしっかりと残せると心強い味方になってくれる。両方大事。数字だけだと人が気に入られてないだけで断る現場も多い。総じて、気に入られるのが大事って話だけど、これはヨイショして持ち上げて気持ちよくさせるのが正解とも僕は思っていない。持ち上げることは無意識に上下をつくる。相手に上だと思わせるのも少し違う。冒頭でエラい人と書いたけど、ちゃんと働いてる人間みんなえらいから。無駄な縦関係は後々自分を苦しめるし相手を間違った方向に進めてしまう可能性もある。基本的に、みんな同じ人間なんだから、横の関係でオッケー。買い手側になった人が一番気をつけなければいけないのは、勘違いして仕入先様に対して上からイってしまうこと。横とは書いたけど、横柄なのは違うからね。敬意をもってお互いの損益を尊重しつつ歩み寄り、良好な関係をつくって繊維業界ライフを楽しんでいただきたいと切に願い、ビール飲みに帰ります。

ドラマチックな裏側。

その昔、丸編み生地製造工場にいた頃、お客様である生地問屋様は僕に向かって言った「売れる生地持ってこい」と。売れる生地という意味には色々含まれると思うが、当時工場営業だった僕は「自社編み機がたくさん回る生地=相対的に売れてる」だったので、数が見込める素材というのが問屋様の意味するところだったかと記憶している。別注素材が飯のタネだったと言いたいところだが、生産現場にとって、当時の(おそらく今も)ご飯は生地問屋様からのある程度カタマリになった発注である。または資材関係。しっかりお腹が満たされる状態で、ちょっと味が濃いものを食べたいなってことで別注素材の余力がうまれる。デザートも欲しいよねってことで小口のキワモノ案件もやれる。これはそれなりの規模の工場運営していく上である程度共通認識ではなかろうか。それこそ昔は(今もあるだろうけど)、生地問屋様が企画の起点であることは珍しく、メーカーからの提案ベースで問屋様の品番が作られていた。販売先の出口としてメーカーが到達できない顧客を多く持つ問屋様はその営業力が最大の武器で、注文を集約することで一品番当たりの発注数を大きくすることができる。ただし在庫リスクや営業経費を加味し、当然メーカー出し価格よりは高くなるから、ある程度数量を売りたいとなれば値段もこなれた物にならざるをえない。結果的に問屋品番はメーカーで直接別注するより無難でありきたりな生地が昔は多かった。最近は生地問屋様にも企画力がついて、紡績各社、ニッターおよび機屋各社、染色加工場などが直接取引をすることでメーカーがいなくても素材開発することも増えた。今はシーズン前に問屋様ショールームに行けば、それはもう、なんでもある。もう作らんでいいなって気持ちになる。それくらいいい感じの生地がたくさんある。値段もまぁ、ロットが張れない別注より、こなれている。話は逸れるが、去年とある外国のブランド様と商談する機会があった。僕は素材のアドバイスってことでメーカーさんと同行したんだけど、メーカーの営業さんが提案した国内問屋素材が、同ブランドのメイン素材と似ていたらしく「これはいくらするんだ?」と値段を聞いてきた。営業さんは「1600円くらいです」っていうので、ドル建て「$10-11」とお伝えしたところ、ブランドディレクターは苦笑いをして「僕らはこれを$3-4で作ってるよw」とおっしゃった。嘲笑ではない、彼は一言詫びを入れると「これが高い理由を消費者が納得できる形で説明してくれないか?」と言う。営業さんは困った顔で「日本製で旧式編み機で・・・って言うてください」と僕に言うので、僕は「ないです」とお伝えした。彼らの市場において日本製で旧式編み機であることが、消費者にとっての価値にはならないということは、会話の流れから想像がつく。念の為、背景的蘊蓄は伝えた上で、一点その明確な生産背景がSDGs的な要素として取り込んでもらえるなら、そういう意味では価値として見れなくはないとも付け加えた。こだわりの別注素材が良いとか悪いとか、問屋様手張り生地が良いとか悪いとか、そういう話じゃない。ブランドとして取り扱う素材が文脈上こだわる必要がある別注素材ならば、その特徴を他と比べることなく、自分たちの顧客様に向けて丁寧に説明して良さをわかってもらえばいいだけの話。問屋様の拾い生地だって、そこにはそれなりのこだわりと価格戦略があり、サプライヤー一同の知恵と技術が詰まっているわけで、彼らなりのお客様へ向けた価値提案である。それは決して別注素材と比べて劣るものではない。と言うか、比べる必要がない。土俵が違うのである。価値を感じるところは万人共通ではないのだから。最近は繊維業界でもSNS侍たちが承認欲求を満たすために他者を下げて自分を上げるスキームが流行っている様子だけれども、それやって軋轢産んじゃってね?的な。別に誰からも好かれるような発信をしろと言うつもりはない。各々好きにやればいいのだけれど、あえて脅威を外に作るようなやり方ってのはこれ洗脳だから、業界を良い方向に進めていきたいという行動とは矛盾しているのではないかと個人的に思うわけで。あとさ、業界狭いからさ。あいつ言うわりに回ってねぇなってのもあるからさ。色々ね、数字とかも。愚直に自分たちが信じる道を楽しく進んでいこうよ。他所がどうとかいいんだよほっとけば。春なんだし。

3万の壁。

前々から自覚はあるし、ブログ冒頭で何度も書いているのでしつこいかもしれないが、僕は性格が悪い。どれくらい悪いかっていうと、カットソーメインのOEMメーカーなのに今回3万円の商品をイジろうとしているのだから自分でも最悪だと思う。性格が悪いのに気にかけてくださる業界の諸先輩方や同胞が多いのはありがたく、本当に前世でどれだけ徳を積んだのか想像できないくらい、人に恵まれている。すごい前世だったんだと思う。ありがとう前世。そして今付き合ってくれてる皆様ありがとう。業界の、特に小売に近いメーカーにいらっしゃる先輩の話によると、カットソー、とりわけ裏毛素材を使用したスウェットと呼ばれるジャンルでは、明確に3万円の壁があるらしい。簡単に説明すると、3万超えると売れ行きが鈍り、3万を下回ると結構売れる。これはその価格帯が許されたブランド様の中での話ではあるけれども。一般的な感覚からして、今やスウェットと言えども1万円で高いイメージさえある中で、某コンビニで発売されたスウェットプルオーバーが、先輩方の主戦場である価格帯の約1/10で流通しているのだから3万円近辺の商品はもう高額商品と言っても差し支えないかと思われる。ここで品質云々で差別化みたいなことは言わない。だってそこら辺はもう散々やり尽くされているだろうし、切り取る世界が違うから。ただ、性格の悪さから少しだけ触れさせてもらうと、件の燃え散らかした言葉を尽くしても分かってもらえない3万円はたしか生地クオリティの話だったかと思われ、彼の見ていた『良い生地』のスウェットはおそらく、国内の高級生地メーカーの手がけたものか、もしくはロット的に高額になったけれども問屋さん生地の中では割と高めの生地を使ったか。たぶん良い生地だったんだと思う。しらんけど。小売価格はブランド様がイメージとして維持したいところがあるだろうから、製造原価における生地の締める割合を掘り返してボッタクリ裁判を繰り広げたいなんて全く思わない。どんな生地を使おうと3万円でも売れるところは売れるし、良い生地(何が良い生地なのかはわからんけど)を使った結果3万円でも全く売れないこともあるだろう。それだけのこと。良い生地ってなんだろうね。今回言いたかったのはそこじゃなくて、税込3万円までのスウェットはブランドファンなら手が出しやすくて、税込3万円超えるとちょっとなんかいつもと違わないとブランドファンでもなかなか買うのを躊躇うよねという先輩の話だ。ただし先輩が言う『スウェット3万壁』の価格帯を許されている市場に限った話なので、誰にでも同じ条件ではない。そこら辺は、展開される市場と自分たちのブランドの価格バランスで2万なのか1.5万なのか、壁の位置はズレるだろうけれども。ただなんとなく、国内ブランドのスウェットって大体そこらへんが相場って、あるよね、なんとなくね。ここで言う国内ブランドってセレオリじゃないので悪しからず。セレオリってブランドって言うのかいまだに僕にとっては疑問だし。僕はね。やってる方々は当然その気概でやってらっしゃるだろうし、そうじゃなきゃ買ってくれるお客様に失礼だし。ただ買付品が調子よかったから似たようなやつをきかkdhdsちょやめ、おまっ 誰っd うわあぁぁぁぁ(´・_・`)さておき。ものさしは人それぞれなので。わかりあう必要もないよね。春が来るね。なんだったっけ?あぁそうだ、繊維業界は楽しいよね。っていうか楽しいので仲間募集してます。

渋谷の天狗。

『渋谷の天狗』とは僕の前職上司がつけたあだ名で、なぜそう呼ばれていたかというと、実際に天狗(調子が非常に良い方)だったのと、夜な夜なお声がかかる集合場所が渋谷駅周辺宮益坂下の『天狗』という居酒屋だったからである。引退する年齢にはこの業界ではまだ早い天狗。だが、本人がアガリと言うのだからおそらくご勇退されても今後の生活に差し支えない蓄えを得たのだろう。というか、得たと言っていた。これもまた繊維ドリームである。天狗はこの業界で二社それぞれで各20年近い奉公をした。初めに入社した会社では『希望』の冠を持つ名の糸を死ぬほど売り捌いていた。同社での天井の限界を察知した天狗は雇用形態を変えて別会社に移籍。移籍後は本人曰く「自分ファースト」で仕事に取り組み、そのやり方は本当に賛否両論で、本人も自覚しているが、一部(多く)の人たちからは遠ざけられていた。というか、まぁ、言い方はアレだけど「嫌われ者」と言ったほうが早いくらいだった。そんな天狗は僕が入隊初期から色々と可愛がってくれたし、僕もよくなついた。自分で言うのもなんだけど、天狗の悪い噂が聞こえてくるくらいには、天狗嫌いの人たちとも親交があった僕なので、八方美人と言われても仕方のない立ち振る舞いだ。誤解を恐れずに言えば、嫌って距離を置くのは周囲の噂をしている人たちが浅い。天狗からしか得られないエキスがある。天狗が自称しているとおり「自分ファースト」を貫いた二社目での振る舞いによって、天狗を遠ざける勢が増えたのは言うまでもない。なぜなら「自分ファースト」だから。ただその「自分ファースト」を貫く理由をそれこそ『渋谷の天狗』で酒を酌み交わしながら聞いた僕は、天狗を嫌う人たちの理由こそが嫌っている人たちの利己的な考えからだと確信した。結局、天狗の貫く「自分ファースト」は多くの取引先の売上や生産に寄与し、そして天狗の懐を温め、早期勇退を許されるほどに金銭的評価を得たのだから、天狗を嫌って愚痴しかこぼさなかった人たちの現状と比べれば、どちらが良かったのかは一目瞭然だ。ただ今日、勇退の報告を受ける際に「自分ファースト」を貫いた裏の、天狗の人間としての心の内は、僕に対してある種の啓示だったように思われる。天狗曰く「山本はおとなしすぎるんや。もっとやんちゃな面を出していかんと。」おとなしい、この僕が。これは非常に意外な評価だったが、天狗の言う「やんちゃ」とは、義を押し通す時に私情で甘くなるな、と言う意味だ。優しさと甘いは似て非なること。お前はまだ人に嫌われてもやり切るという覚悟がない。と言う。僕も今年40歳になる。この歳でこの立場になってくると、あまりこういう指導をくれる人も周りにいなくなる。人の人生で幸せの置き所は人それぞれだから、天狗の生き方が万人にとって幸せをもたらすかどうかはわからない。でも少なくとも、天狗は幸せそうだった。何より嫌われてるとわかってても仕事が本当に楽しそうだった。ありがとう渋谷の天狗。時々お茶しにきてよ。天狗にいい意味で顔つき変わったなって言わせて見せるから。

SADOBASEコットンの遺伝子組換え試験について

掲載の試験結果の通り、弊社のSADOBASEにて栽培されている綿花は遺伝子組み換えでない証明が取れましたのでご報告です。生物多様性の観点から制定されているカルタヘナ法に基づき、日本国内における遺伝子組み換えの綿花は栽培することは違法とされているようです。特に佐渡はたくさんの生き物たちが暮らしている自然豊かな島です。独自の生態系をもつ島へ、後から僕らの事業でそれらを犯すようなことがあってはならないとのことで、SADOBASEスタッフたちが試験を依頼してくれました。そもそも遺伝子組み換えだったら違法ですし。今回の試験結果は2023年10月採集の弊社綿花畑にて栽培された綿花の種を提出し、調べてもらいました。弊社ではSADOBASEコットンを特にオーガニックコットンと銘打って仕掛けているわけではありませんが、偶然にも隣の畑でレンコン栽培をされている事業者様も移住して起業されている方で、そのレンコンがオーガニック栽培ということで、雨水が地下を伝って薬品が混入してはいけないので、隣接事業者様に準じ自然農法にて栽培しております。春先の畑は真野湾で採れた牡蠣の貝殻を粉砕し土に混ぜ込み、稲作で出た籾殻を撒いて肥料とし、育成期間中は除草剤噴霧などは行っておりません。(ので、草刈りはとても大変です)水も畑横に作った堀に溜まった雨水と、地元の井戸水を使用しております。オーガニックコットンではないコットン自体の成果物が人体に影響を与えることはありませんので、オーガニックコットンを崇拝しているわけでもありませんが、地方事業にて関係各位及び当地の自然環境維持の観点から、我々も自身でできることを進めて参ります。

資金繰り。

我々中小零細企業にとって、資金繰りはおそらくいつも悩みの種であろう。特に季節商売感が強いファッション向け繊維製造の場合、売り買いのバランスは時期によって大きなうねりを伴う。周囲にも同世代で独立開業を志す面々が増えてきたので、改めてキャッシュフローの大事さを周知したい。会社員時代に机上で叩いた『いける』感は、種銭の大きさで全く違う結果を生むことになる。僕自身、独立する前にはそれなりに用意周到に資金計画したつもりだった。渋谷区の制度融資斡旋の中小企業診断士は「これ自分で作ったの?すごいね!」と言ってくれた(が、結局は何も始まっていない状態で絵に描いた餅だからどうとでも描ける)ので、それはもう、これ以上ない『いける』感が身体中を満たし、全知全能の神にでもなったかのように意気揚々とVOLVOのディーラーに乗り込むほど調子に乗っていた。実際には「会社員の内に買ってくれ」と言われ、結局今も外車のようなものには手が届かない。いやむしろ、その時に買わなくて良かったとさえ思うし、今買おうと思うかと問われれば、無駄ではないかもしれないけれど大きな出費はなるべく差し控えたいと心の底から思うので、たぶん今後外車に乗ってイキってたとしたら相当儲かったか、または狂って終わりの始まりを歩み出したかのどちらかだろう。別に外車に乗ること自体は別に悪いことじゃない。僕の現状から未来に対しての話である。今はまだ、そのフェーズじゃないな、というだけ。製造業は、受託後に材料を仕入れ、組み立て依頼し、完成品を指定納期で納めて期日締めから支払日までの期間を耐える資金が必要になる。この期間、案件によっては企画立ち上げから提案、サンプル、量産までの一連で入金まで長ければ一年仕事だ。2シーズン展開の先で、展示会からデリバリーの時期まで半年間あることを考えれば、この一年という時間軸は全く大袈裟な話ではない。物を見せなければ始まらないような仕事なので、提案サンプルの作成費だってそれなりに積み上がる。中にはボツって死金になる物も当然出てくる。それでも売り上げが立つまでの期間、仕入を起こし、経費を払いながらいつか入ってくるであろう売上金と微々たる利鞘を心待ちにして日々お客様を思い、やるべきことを積み重ねていくしかない。売上が大きい案件ほど、当然前払い費用は大きくなる。手持ち資金が少なければ、売り上げ入金までに余裕でキャッシュアウトで負けのゲームだ。そのために必要な資金調達という仕事もしなければならない。ではなぜ用意周到だったはずの資金計画が狂うのか。

めんどくさい。

嫌ならやめればいい。めんどくさいならやらなきゃいい。そうやって降りるのは簡単なことで、誰にでもできる。めんどくさくてやめるのは誰にでもできることだから、めんどくさいけどやめなければ誰にもできないことができるとも言える。アパレルOEM製造は中間業者として案外楽な立ち位置だと思われていることが多い。実際、時代背景もあって最近までは割と案件を右から左へ受け流すムーディーな奴らも多めに残っているから、そういう印象が勝っても不思議じゃない。中間業者が物理的に手を動かして物を組み立てるわけでもなければ、着想をデザインに落とし込むこともしないから、僕のブログでは何度も取り上げているように、不要論があることは承知している。そういった世論で煽りを受けずとも、介在不要と判断されるムーデイー業者があるとしたら、時間が篩にかけてくれるから全く心配はいらない。そして不運にもムーディー業者と商いを共にしてしまって、あまりの無能さに不要論を声高に叫ぶ製造現場も、実際にこの立ち位置でやってみれば、それがいかにめんどくさい仕事をしているか理解し、いつの間にか中間業者を頼る製造へと回帰することも多い。そう、OEMはちゃんとやるとめっちゃめんどくさい。粒度の粗いオファーを具体化し、現場に依頼する。数量的なハードルがあってもクライアントの先のお客様まで考えて商品化を目指し、現場に頭を下げながら形にしていく。バラバラと集まってくる材料をまとめて間違いのないように発送し、上がってきてミスがあってはいけないから早めに生産し、出来上がってしまった物の請求が来ても指定納品日までは納品できないことが多いため、長らく資金を眠らせる。そして利鞘を削って他社と競合し、仕入資金が寝る日数と金利分を勘定できない営業は薄利多売で着地は赤字なんてこともザラである。こういう裏側を知ってると、原価なんちゃらとか言って業界を切ってしまう同業SNS侍は全く信用できない。エセ侍である。それでもやめない人たちは、本当に必要とされていき、めんどくさいから降りてった(または降ろされた)奴らと違い、凄まじい体力をつけていく。もちろん法外な値段の削り合いには積極的に参加しない。それは大手商社がやること。戦う土俵が違う。体感だけど、きちんと対価を払ってくれるお客様のケアは、楽にやろうとしてるうちはできないと思ってる。だからめんどくさいと現場から思われるようなケアでもしっかり対応できるようになっていれば、自然に良いお客様しか残らない。めんどくさいと愚痴を言わないわけじゃない。しっかり時間をかけて打ち合わせを重ね、解像度を上げて丁寧に完パケで職出ししても、モノが上がってみれば製造現場が間違えていて、魂が抜ける時もある。人間だもの、間違いはある。ただしこっちも人間なので、感情が揺れないでもない。

無理。

もういくつ寝るとお正月。仕事はまだおさまらない様相だが、どう足掻いても無理なものは大掃除の時に、目の届かないところに隠して一旦仕切り直そうということでオフィスはもう今年終わった感が漂っている。(ダメ毎年、この年末年始の切り替わり時にある節目感を、僕個人としてはあまり意識していなかったのだが、今年はこの二ヶ月に渡り大山を越えるべくフィジカルもメンタルも削り倒したので、なんだかやった感だけは一丁前にある。そういえばその昔、某運送会社のドライバーさんと仲良くなり、一緒に食事に行ったことがある。彼は千駄ヶ谷担当で、非常に人当たりが良く、いつも融通を利かせていただきどれだけ救われたことか。起業の際も彼を頼り、口座を開いてもらってスムーズに物流を依頼することができた。そんな彼が千駄ヶ谷担当になった頃、千駄ヶ谷は都内エリアでも地獄の地域だったようで、配属が決定になった時はそれはもう恐怖だったらしい。初めて千駄ヶ谷でトラックの荷台を開けた時、すり切りいっぱいに隙間なく荷物が載っていて、貧血でめまいを起こしたほどだったそうだ。それはもう絶望的景色で、まずどこからどうやって荷物を下ろせばいいのかわからないくらいパンパンに詰まっていたらしい。とは言え、端から片付けていくほかに手はなく、なんとか運び切った頃にはもう集荷を終えてなければセンターに戻れないくらいの時間だったそうだ。配達や集荷に行く先々で遅いと怒られ、誰も彼も自分を優先しろと言って怒鳴られたと、懐かしそうに語っていた。時は流れて現在、働き方改革で編み工場から染工場までの長距離トラックも便数が減り、物があっても動かない時間ができるようになった。リードタイムはタイミングを誤れば物流都合で一週間ずれることもある。11月下旬頃、僕は冒頭の通り、地雷原に踏み込んで大山を迎えていた最中、東京から愛知への荷物でさえ中一日かかることがあった。ただでさえタイトになっている生産スケジュールが物流で伸びるのは辛いものがある。しかし、ドライバーさんに理由を聞いたら「ブラックフライデーの影響で荷物が溢れかえっていてトラックに乗り切らずセンターに残ってる物がたくさんある」という。果たしてイベントで割安になった商品を今日明日に必要だと思っている購入者がどれくらいいるのか。それにより通常業務で通常時間に動かしてもらいたいものを滞らせてしまうのは、ドライバーさんも辛かっただろう。某百貨店のクリスマスケーキがぐちゃぐちゃで届いた方には同情するし、自分がその目にあったら文句の一つも言いたくなったと思う。我が家の今年のクリスマスケーキは百貨店に予約注文して受け取り時間を指定されていたのでその通りに従った。ところが行ってみれば長蛇の列で、1時間待ちだった。なんのための予約受け取りなのだろうかと憤ったが、冷静に考えてみれば、この仕組みを考えた人は「できる」と思って企てたのだろう。家族にプレゼントを買うために、レディースブランドの店舗にて、バッグをどれにしようか悩んでいた僕に声をかけてくれた店員さんは「よかったらお鏡で合わせてみてくださいね」と言うものだから、最近の激務によってすり減った精神の僕ではウィットに富んだ反応ができず「僕が使うとでも?」という最低な返しをしてしまった。できることなら「そうそうそう、これをこうやってこうやってな、って僕が使うんかーい!」くらいで返したかった。本当に申し訳なく思っている。何が言いたいかというと、机上論で実現可能だと思われたオペレーションでも、実際に現場では機能せず、結局は現場の人に無理がかかってしまうということ。僕らも中間業として、依頼者に回ることが多いので、各現場や物流を担ってくれている方々には感謝しかない。なるべく依頼者からの要望に応えられるように、こちらで現場にスムーズに動いてもらえるよう段取りをとるのが僕らの仕事だ。だから仕事はまだ、おさまっていない。ただこの『無理』を経験することで、その先に二手に分かれる人種が出てくる。この『無理』を出来るようにするためにどうするか考える人。この『無理』を無理だとして文句を言い出す人。先述の食事を共にしたドライバーさんは今、現場ではなく上層部に上がったそうだ。つまり彼はこの『無理』をどうやったら出来るか考えて行動し、結果的に出世した。室井さん、事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ、上にいって現場が、現場が動きやすい組織にしtkr願わくば先日うっかり僕に声をかけてしまった店員さんも、めげずに頑張ってもらいたい。その節はほんとごめん。ケーキをどうやったらビッグイベントでみんながハッピーに受け取れるか、百貨店の人たちもこの経験を踏まえて考えてもらえたら嬉しい。僕は1時間並んだため、バレーボールの練習納めに遅刻して罰金だった。ケーキは無事だったから別にいいけど。誰がいけないというわけでもないけど、人は皆わがままだ。こんなわがままな世界に、なんとかわがままを成立させようと、日々手足を動かしてくれている現場の皆様、本当にありがとうございます。皆様に感謝しながら、今年を締めたいと思います。良いお年をお過ごしください。