渋谷の天狗。

『渋谷の天狗』とは僕の前職上司がつけたあだ名で、なぜそう呼ばれていたかというと、実際に天狗(調子が非常に良い方)だったのと、夜な夜なお声がかかる集合場所が渋谷駅周辺宮益坂下の『天狗』という居酒屋だったからである。


引退する年齢にはこの業界ではまだ早い天狗。だが、本人がアガリと言うのだからおそらくご勇退されても今後の生活に差し支えない蓄えを得たのだろう。というか、得たと言っていた。

これもまた繊維ドリームである。


天狗はこの業界で二社それぞれで各20年近い奉公をした。初めに入社した会社では『希望』の冠を持つ名の糸を死ぬほど売り捌いていた。同社での天井の限界を察知した天狗は雇用形態を変えて別会社に移籍。移籍後は本人曰く「自分ファースト」で仕事に取り組み、そのやり方は本当に賛否両論で、本人も自覚しているが、一部(多く)の人たちからは遠ざけられていた。

というか、まぁ、言い方はアレだけど「嫌われ者」と言ったほうが早いくらいだった。


そんな天狗は僕が入隊初期から色々と可愛がってくれたし、僕もよくなついた。

自分で言うのもなんだけど、天狗の悪い噂が聞こえてくるくらいには、天狗嫌いの人たちとも親交があった僕なので、八方美人と言われても仕方のない立ち振る舞いだ。


誤解を恐れずに言えば、嫌って距離を置くのは周囲の噂をしている人たちが浅い。天狗からしか得られないエキスがある。


天狗が自称しているとおり「自分ファースト」を貫いた二社目での振る舞いによって、天狗を遠ざける勢が増えたのは言うまでもない。なぜなら「自分ファースト」だから。

ただその「自分ファースト」を貫く理由をそれこそ『渋谷の天狗』で酒を酌み交わしながら聞いた僕は、天狗を嫌う人たちの理由こそが嫌っている人たちの利己的な考えからだと確信した。


結局、天狗の貫く「自分ファースト」は多くの取引先の売上や生産に寄与し、そして天狗の懐を温め、早期勇退を許されるほどに金銭的評価を得たのだから、天狗を嫌って愚痴しかこぼさなかった人たちの現状と比べれば、どちらが良かったのかは一目瞭然だ。


ただ今日、勇退の報告を受ける際に「自分ファースト」を貫いた裏の、天狗の人間としての心の内は、僕に対してある種の啓示だったように思われる。


天狗曰く「山本はおとなしすぎるんや。もっとやんちゃな面を出していかんと。」


おとなしい、この僕が。

これは非常に意外な評価だったが、天狗の言う「やんちゃ」とは、義を押し通す時に私情で甘くなるな、と言う意味だ。


優しさと甘いは似て非なること。お前はまだ人に嫌われてもやり切るという覚悟がない。と言う。


僕も今年40歳になる。この歳でこの立場になってくると、あまりこういう指導をくれる人も周りにいなくなる。


人の人生で幸せの置き所は人それぞれだから、天狗の生き方が万人にとって幸せをもたらすかどうかはわからない。でも少なくとも、天狗は幸せそうだった。何より嫌われてるとわかってても仕事が本当に楽しそうだった。

ありがとう渋谷の天狗。時々お茶しにきてよ。天狗にいい意味で顔つき変わったなって言わせて見せるから。

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