理不尽の先。

繊維業界に入隊したばかりの頃、自称天才だったアホの僕は物事の大枠やその真理を知りもしないのに、上司やお客様から向けられる指示などにいちいち憤っていた時期があった。


『言われたことをやる』ということ自体に抵抗があったのかもしれない。なぜそうだったか、その頃はそれがロックだと思っていたとしか説明できないが、仕事に人生を切り売りしてやっているという感覚が無駄に反抗心を生んでいた。

そんな態度だったので、言われることにいちいち「何でそれやるんですか?それは僕の仕事ですか?」みたいな感じの、自分の意見と称した無駄なカウンターを打っては人を困惑させていた。面接で自称天才を名乗った大型新人風はただのアホかもしれないと採用担当者(現社長)の眉毛を八の字よりもさらに角度がついたものにしてしまっていた。


時代が良かったため、そんなアホでもすぐに切られず、いくばくか強制的な屈辱を味合わされながら、ようやく『理不尽』だと思っていた自分に向けられた刃が、それぞれの正義の上に立つ目的あるものだと少しずつ理解できるようになっていった。

尖ってたあの頃のお前が良かったっていう人もいるけど、それはそれとして、僕自身も自分の目的をどこに置くかがはっきりした上で、悪意ある理不尽に対してはエネルギーを割かなくなっただけだ。もうそんなに若くないし。


振り返ってみると、作業現場で知識と技術を身につけて、実際の営業現場に入るのは大変意味のあることだった。その知識と技術をお客様のためにしっかり使えたならば、だけど。

知識や技術が身に付くというのは、一方で、保身のために強い説得力を持つことにもなる。つまりお客様からのリクエストに応えるためではなく、それをねじ伏せる力も持つということ。


上司やお客様から向けられた指示や依頼に対して『理不尽』だとフィルタリングしてしまえば、せっかくの知識や技術は相手を諦めさせるための方便になってしまう。これは身をもって経験した上で、自分の周りから人を遠ざけた。


ある日眉毛を八の字にした前職当時の採用担当(現社長)は僕に言った「やまちゃんな、お前の主張は正しいかしらんけど、金のために頭下げてくれへんか?」これは当時の僕にとって人生最大の軽蔑を伴った感情を生んだけど、僕一人のしょうもない正義で船を沈めるわけにはいかない立場の人間からしたら、どうやってこのアホにわかってもらおうか一生懸命悩んで絞り出した懇願だったと推測する。


立場を利用して上下関係を作ろうとしてくる人は嫌いだけど、実際立場がある人からしたら、末端平社員に対して「頭を下げてくれ」ってお願いするのは大変勇気のある発言だったと今は思う。


最近はネットでなんでも知識が手に入る。繊維業界での知識もまた同じく簡単に手に入るけど、実務者が積み上げた中での一部発信を上澄だけすくって、さも自分の経験のように語る実務経験がないフェイク野郎も多数存在する。厄介なのはこの人たちに悪意がなく、奥行きがないまま業界のためだと言い切り教えを流布してしまうこと、そして見た人たちがそれを盲信し、知識として取り入れた上で、現場を守る的な角度でクライアントからの依頼や指示に『理不尽』のフィルターをかけてしまうこと。

もちろん、誰がどう見ても明らかな理不尽はある。ただそれを仕事として割り当てられて滅私奉公が如く遂行している人もいる可能性はある。その組織の中では理不尽も正義である可能性もある。

理不尽だと思ったリクエストが、実はやってみると現場を大きく躍進させる可能性だってある。


間違いだと思うことに声を上げるなとは言わない。主義主張は大いに結構である。それがなければ新しいことも生まれないし。でもちょっと冷静に、自分の正義が間違っている可能性もあるという目線があると、成長は早いかもしれない。

間違いは誰にでもある。仕事の上で正解は一つじゃないけど、自分だけが常に正しい保証なんてない。僕が『理不尽だ』と感じていたものは、そういうものを教えてくれた気がする。

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