そうかもしれません。

たまたま顧客さんで、その顧客さんの顧客さん向けに「価値感のあるスウェットを提案したい」とご依頼をいただき、リクエストとして「吊裏毛とか」というキーワードを頂戴したので、吊裏毛を含むそれらの資料を提出した。


たぶん僕のブログを読んでくださっているみなさまならば、『吊裏毛』に関する説明は不要だと思うが、とりあえず簡単に書くと、旧式の編み機で、現在普及しているいわゆる『シンカー』式の高速機は地面に足(台)がしっかりあって自立しているのに対して、梁に吊り下げて設置されるから『吊』編み機と呼んでいる。

旧式編み機であるから、調整も難しく、台数も職人も減少傾向にあり、さらに生産性が一般的な裏毛編み機に比べて一台あたり1/24くらいしかない。それはつまり同じ生地を編むのに一台あたり24倍の時間を要するということで、従事する職人の手当て、及び工賃を算出すると、一般的な裏毛に比べて24倍しないと理屈に合わないという雰囲気があるのだが、24倍はしない。けどまぁ、普通より高い。それはそうだ。


しかし、24倍はしないけど普通より高くなってしまうその生地の価値を決めるのは、工場や生地屋さんじゃない。


そして僕の顧客さんから出た一言はこれだ。


「こんなもん違いわかれへんやないか」


これは生地のことを馬鹿にしたのだろうか?それともこの人はその違いもわからないほど感覚がアレなのだろうか?


いや、きっとこれが、売り場で感じる人々の声なのかもしれない。


昔の僕なら「いやそんなん全然違いますよ!ほらこうもっちりというか噛みたくなるボリュームとか!」と食い下がっただろう。そして吊裏毛の素晴らしさやウンチクをたたみかけるように浴びせていたかもしれない。


「価値感のあるスウェット」って言ったじゃないか。きっと昔の僕ならそう思って腹もたっただろう。そして何より『吊裏毛』というキーワードを『価値感のある』モノとして認識して疑わなかったから、彼らもそう言う収集ワードになったのだろう。しかし実際はどうだ。言った本人が「違いがわからない」と言うのだから、それが答えだろう。

それは僕が否定するものでもなんでもなく、素直に出た感想だ。僕はもちろん全く違うと思うのだが、あまりにも生地作りの世界に長くいると、違いに対する感度は当然一般的な人からはズレてくる。そう実感がある。だから素材自体がこれ以上彼らの興味を引き込めないなら、被せる言葉などない。


この素直な感想をもって、素材に対してそれ以上引っかからないのであれば、それが吊裏毛である価値はない。そこにフックがあって初めて素材の奥行に誘うストーリーが成立する。または、ストーリーが魅力的に成立していて、製造過程とブランドの理念が一致して初めて、吊裏毛の価値が伝わるものではないのか。

つまり製造側がいくら騒いでも言葉でガッチャンしただけの表面的な価値はもう通用せず、初めからしっかりと物語を紡ぎ上げた人たちだけが、その優しい生地作りの世界を価値に変えていくことができるのではないか。そう思ってやまなかったので、今日は心から「そうかもしれませんね」って言ってしまったら「あかんやないか!」と激し目のツッコミを入れられたのは内緒の話。

ulcloworks

ultimate/究極の clothing/衣服を works/創造する ulcloworks

0コメント

  • 1000 / 1000