生地の価値観って難しい。
元々生地つくる仕事をしているので、原料が高級かどうか、機械が希少数かどうか、加工の工程が多いから工賃が高いなど、色々足し算できてしまうことを知っている。その〇〇が高付加価値という訴求はもうなんというか、お腹いっぱいである。し、誇張しすぎている節もある。
工程を複雑化することで単価を上げやすく、また原価を誤魔化しやすくなるのがテキスタイルの、面白いところでもあり、非常に陳腐なところでもある。
面白い側面としては、使用原料がそれほど高級ではなくても、生地のツラや仕上がりなど、お客さんが得られる感動が原料価格の期待値をいい意味で裏切った時、収益は大きくなる。
一方で高級原料名に引っ張られて「〇〇だから高い」という理論は、希少性などからそもそも原価が高いとしても、高い銘柄や工程だからと言って必要以上に価格を吊り上げたら、必要な人にとってもメリットと言い難いし、必要ない人からしたらその生地にほとんど価値を見出せないのである。
当たり前のことだが、需給のバランスが取れないと、どんな高級原料もゴミになり得るし、市場から求められれば、ゴミとして扱われていた原料も価値が見出されることもある。
結局は『誰に向けているか』という明確な市場を意識していないテキスタイルはいつまでたっても生産者側のエゴの域を出ることはなく、いつまでたっても「こんなに良い原料なのにどうして伝わらないんだ?」という疑問の答えにたどり着くこともない。
アパレル業界の中には非常に親切にそういった生産側のエゴを探しに行ってくれる稀有な人たちがいてくれる。そうした人たちが宝を掘り当てるがごとく、誰に向けたかわからないようなサンプルの山をかき分けて見つけ出そうとしてくれていることを、生産者は「楽しんでくれている」と勘違いしてはいけない。
もちろんそういう宝探し的な楽しみを感じている人たちもいる。テキスタイルジャンキーな僕も同様に、そのような空間に果てしなくいつまでもいられる。だがしかし皆が皆そういうありがたい人たちではない。
そういう捜索をしなくなったメーカーやデザイナーたちを「怠慢になった」と嘆いてはいけない。むしろ探させていた自分たちの横柄な態度を「怠慢だった」と反省した方が良い。
誰かに向けたかわからない過去のサンプルも、改めて売り場などをみて、どういう人たちに見てもらえるかなど考えてグルーピングをし直してサンプル整理をしてみると、改めて生き返る可能性がある。
誰かの役にたって、ようやく本当の価値をもつのだ。
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