倫理観の商利用を屁とも思わない人達。

業界が長くなってくると交換した名刺の数はもう把握できない分量で、色々なアパレルメーカーや中間のOEMメーカーと、少なからず面識があるため、問屋から落ちてこない情報などを探りに、とりあえず普段は仕事してないけど、僕に情報を求めてくる人は、割と多い。これはまぁ、控えめに言って、ほとんどは面倒なことが多いのだが、アテにしてくれるというのは、ありがたいと思うようにしている。

僕としてはこれをフックに仕事を頂戴しようなんて下心はあまりないが、情報だけじゃなくて、なんなら資料を集めるように依頼された場合は、内容によっては多少説教じみたことを言ったりもする。

こと、タイトルの内容に限れば、世間でも言われている通りで、本質に迫るような話はほとんどなく、言わば『商い』のために、必要とされている流行感以外の何物でもない。
「少しでも意識するのだから良いことではないか」と反論を頂戴することもある。まぁたしかに、「何もない」よりはマシなのかもしれない。と、思わせて人を使って資料を集めさせようたってそうはいかんぞ。そもそも運動とエネルギーは密接な関係にあって作用を期待するには力点d…
誰が悪いって話じゃなくて、「結局ソレ、今売れそうだからやるのって違くないか?」って話。商売掴むために流行に乗るのは誰しもそうなんだろうけど、本域で事に従事してる農家や原料メーカーにとって一過性のブームで大きめの玉を掴まれるのは、続く商売なら良いんだけど、見放されたら枯野原になってしまうってことをよく考えて欲しい。

特に真面目にそういうことに従事してる人達って、けっこうビッグネームに弱いから、巷の百貨店で見たり聞いたりしたことのある人たちから声が掛かろうもんなら、めっちゃ喜んで提供しようとする。でも、売場みたらわかるけど、どんなに一生懸命説明用のポップや下げ札を頑張って作っても、そこには何十倍もの服がかかってて、そのほんの一部分、意識して見てもらわないと気付かないような、そんな扱いで店頭に並ぶ。それが本当に環境や倫理をきちんと意識して取り組む企業の姿勢だろうか。わざわざそうやって商品に大層なラベルをつけて主張して、その他大勢に埋もれるように一緒に並べて、『我々は環境配慮しています』と主張すんの、何がしたいのか僕には全然わからない。

今たまたまインドネシアに来ていて、ホテル周辺の百貨店見てみたけど、知らないプチプラブランドが乱立してる。オーガニック農法でコットン作って得た財源で大きな分母の人口が、これらプチプラのファッションを消費していくんだと思うと、先進国が何をどうこうというレベルの話ではなさそうだから、僕は僕で、僕の考える方法で自分と関わってくれる人達に対して何が出来るかを考えていこうと思う。

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