『当たり前』じゃない。
普通はビジネスとして受注して生産して納めて、希望通りの納期やコスト、クオリティを整えて、納めて金もらって終わりなんだけど、やっぱ「ありがとう」って言われるとそりゃ嬉しいよね。そういう言葉が自然に出るってことは、物が出来上がることは当たり前じゃないっていう事をわかってる人なのかも。
— 山本 晴邦 (@HARUKUNI_Y) October 3, 2019
先日息子(2)に程よい帽子を見繕いたくて、とあるお店で見つけたので買った。
店員さんから息子が受け取る時に元気よく「ありがとうございました!」って言った時の店員さんの笑顔が忘れられない。
息子にしてみれば、そんなに深い意味なんてない。でも、『お客様』がお金を払って提供を受けるのが当たり前になりきってしまっているこんな世の中じゃpois、、提供する人が「ありがとうございました」とは言っても、受け手が「ありがとう」と返す場面を見かけることは少なくなった。
考えてみれば、お金を払って提供受ける側もありがたいはずなんだ。その感謝の気持ちの対価が金銭に変わり、そしていつのまにか感謝の気持ちが無くなり、金銭が強くなり、お金を払う人は偉くなってしまった。
前職時代から、お客さんから幾度となく「こっちは客だぞ!」って言われた。その度に「だから何だ、こっちが作らなきゃ困るだろ」と、やり合った。まぁ、あんま良いこととは言えないかもしれない。かもしれない。
もちろんお金をいただく以上は、その金額以上の価値を感じてもらえるような提供を心がけている。
でも、だからといって、お金を払う人が立場上偉いわけではない。
だって、仕掛かり期間中、その金品を立て替え、注文を履行する間、納期、品質、コスト、全てをまとめて、発注者が要求する状態に仕上げていくんだ、発注者はそれを確認して、後払いで代金を入れてくる。本来なら、その期間ズレてる分の金利だってある。仕掛かり期間は仕入れ金額を発注者に貸付てるのと同じだ。
信用取引が常の日本では当たり前となっているこの仕組みも、冷静に考えれば当たり前ではない。個人間で考えれば、ものすごい便宜を図っているのがおわかりいただけるだろう。
お店も、来てくれるお客さんに喜んで欲しいから、品揃えを良くして待ってくれてる。その便宜を利用させてもらって商品が手に入るんだ、お客さんだって「(いつくるかわかんない僕のためにこんなに用意して待っててくれて)ありがとね」っていう感謝の念があってもバチは当たらない。
なにより、その一言で、提供側の気持ちがどんなに救われるか。
そうやってまずは気持ちのサステイナビリティから始めたら良いんじゃないのかと思うわけだが、何の話だっけ?
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