綺麗事。

SDGsという言葉が繊維業界に対して厳しくなかなか達成の目処が立たないような気配を感じずにはいられない。

厳しいとは、色々な意味があるけれども。


取り急ぎ環境意識商材は各社出揃った感もあり、「もうそれじゃなきゃ売れない」みたいな空気が蔓延しているかというと、まぁそうでもない。環境意識商材といっても、ある角度から見ればそれもまた、環境に対してどうなのかというツッコミどころがある物も多く、つまり、全方位的に「これ絶対大丈夫よ!」と胸はっておすすめできるものがあるかというと、あんま大きい声では言えないけれど、ない。


とはいえ、無視できない目標設定であるならば、やらないよりはやってるところがあった方が良い、というレベルで、各社できる範囲で取り組んでらっしゃるのは、非常に素晴らしいことと思う。


で、まぁ環境意識商材も含めてなんだけど、昨今は世界情勢的にどうもコスト上昇は避けられないので、昨年の原材料高から、エネルギーコストの合わせ技で、結構生地作るのも今までの肌感覚では到底想像できないくらいの値上がり幅である。環境意識商材なんかは、それに輪をかけてコストがかかっているものなので、当然値段は高い。


前回のブログともちょっとリンクするんだけど、出し手の価値感覚と受け手の価値感覚の乖離は、こういった側面でも顕著にある。


いくら会社としてSDGsを旗印に掲げていても、どんなに環境商材でコストがかかっていようとも、結果的には商品が市場流通相場からかけ離れた値段になってしまいそうであれば、容赦無く値切られる。そこに愛はあるんか。


知り合いのOEM会社の社長様とお話していて、「まぁそうだよな」としか言えない現実がそこにはある。

その社長曰く「相手さんがなんぼ世間体で良いこと言おうが、そん時の条件で一番安いところ選ぶに決まっとるやろ」と。

「ワシらレベルの業者なんか腐るほどおるんやから、安出せへんかったら商売あれへんねん」と続ける。


それはそれでとても寂しいことをおっしゃるなと思いつつ、まぁ正直、特段その業者に頼むメリットがない場合は、品質的に同等であれば、安い方を相手が選ぶのは商売の常。誰が悪いというわけでもない。のだが、じゃ普通に試算した見積もりが、どう考えてもそれ、誰か死んでんじゃね?って値段で刺されて、泣く泣く条件を飲んでる人も世間にはいる。これは、何も今に始まったことじゃない。


表向きでは自社のクリーンさを表明していて、しかしながら、証拠の残らない悪条件を受託者が表に出さずに『自発的』に受託しているから、明るみに出ても知らぬ存ぜぬで押し通せる。


環境意識商材という付加価値が商品として高額であっても良いという受け皿がまだそれほど整っていない市場で、かつ、みんなお財布の口がかたい現状で、上澄みだけすくったにわか作りの『義』では、それこそ「そこでそれを買う理由がない」ので、やっぱり安くしなきゃねって作戦になるのはすごく自然なことだと思う。


ただそれが、長期的に環境や社会経済にとって有効かどうかは、僕としては疑問である。どっちにしろ、その舞台に立ってないので当事者の長期的目標の正当性はわからないから、批判できる立場でもない。


ウチはウチで、お客様や仕入先様にとってウチである必要性を追求していくだけなので、その中の選択肢で環境意識商材を進めたいとリクエストがあれば、用意するまでのこと。それ以上でもそれ以下でもない。前出の社長様とお話して、改めて受け手と出し手の価値が合えば成立する世界をしっかりと作っていきたいと改めて思った次第である。


とりあえず、せっかく繊維の世界で面白おかしくやってるので、楽しめる人たちと手を組んでやっていかないともったいない。

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