モノづくりは終わったのか。

先日色々あって、かなり久しぶりに地方のテーブル生地メーカーさんに連絡した。
軽く近況報告をするつもりが、最近のオーダー事情の悪化を大変嘆かれておられ、ついには「モノづくりは終わってしまった」と落胆されていた。

彼らが相手にしているお客さんたちは、いわゆる昔ながらの生地メーカーさんで、その生地メーカーさんたちのお客さんたちは、レジェンドと呼ばれているアパレルメーカーさんたちが多い。昨今の国内生産の事情から、確かに生産量は減っているし、納期もタイトなことが多く、機動力があるとは言え物理的にかなり厳しい要求をされる小規模工業を多数回している彼らは納期のサバを読めばハマらないし、数量的にも満足のいくものではないからコストも上昇し、単価もはまらないと言う状況が続いているらしい。

世の流れと言ってしまえばそれまでだが、彼らからすると、勝手に海外生産に切り替えられ、勝手に数量が減り、勝手に置いていかれたと思ってしまう気持ちがわからんでもない。今に始まったことでもないが、なんとなく商売が繋がって(この辺は相手先の生地メーカーさんなど中間業者の努力もある)ものすごくゆっくりと変化している場合、景色が変わっていること自体に気づくことが難しかったりする。そして今回のようなはっきりと明暗を分けるような出来事がおこると、急に景色が変わったように感じるという人も多いのかもしれない。
彼らは生機を在庫したり、糸をストックしたりしてクイックな対応をすると言うような、在庫準備商売をしていない。生地のOEMだから、需要があれば儲かるし、無ければわかりやすく衰退する。当たり前である。そして今、国内別注生地OEMは、はっきり言って『目に見える』ような需要はない。

『目に見える』と言うのは、世間認知の度合いの問題で、デザイナーズ系で頑張っている人たちは工業の数量的に満足できるレベルかどうかは別として、生地をオリジナルでサンプルから仕掛けているところはまだまだ結構あるのだ。が、仮にデザイナーさんたちが産地を訪れて商売をお願いしようとしても、彼らがそれを快く受けているかどうかと言うと、微妙なところである。

商売が細っているのに、新規参入組を快く受け入れられていない理由は過去に何度か書いているが、自分の首を自分で絞めている可能性を疑ってみるという習性は今のところまだ足りていない。
たしかに一軒二軒、新規で小規模ブランドの生産が増えたとしても、彼らの過去の満腹度には遠く及ばないので、腰が重くなるのは理解できる。しかし取り組まなければ1にも2にもならず、いつまでもゼロ、むしろ世間が縮小してるのだからマイナスである。

前に知り合いのブランドさん側の人から出た言葉で「じゃあその商売なくても良かったんですか?ってことになるじゃないですか。」は、人によっては横柄な態度のように見えるが、事実ではあるので、腹を立ててケツをまくってしまっては、いつまでたっても止血は出来ない。

入り込む余地のある牌は限られているので、巡ってきたチャンスをフットワーク軽くやれると少しは世界が変わっていくのではないかなぁと感じたのであった。

ulcloworks

ultimate/究極の clothing/衣服を works/創造する ulcloworks

0コメント

  • 1000 / 1000