美しい理想と現実の間。

今朝、お取引はなかったのだが、何度かお越し下さったとても手の良い工場さんから、丁寧に閉鎖のご連絡をいただいた。初めてお会いした時から非常に丁寧な、紳士な方だった。


知り合ったきっかけは、弊社が工場さんを開拓していた時に、飛び込み連絡をしてリアクションしてくれた工場の中の一つだった。電話でアレコレとやりとりさせてもらったが、当時同社はとある大手メーカーのお抱え工場で、同ブランドからの仕事が入ると当然優先せざるをえず、こちらの期待に答えられない可能性が高いと、わざわざ御来社下さって『おことわり』の説明をしてくれたのである。とても丁寧で、地方の工場だったが、ことあるごとに東京にいらしては、弊社を訪れて下さって、「仕事はあの時断ってしまったが近くに寄ったので挨拶を」とお顔を見せてくださるような紳士な方だった。真面目、実直という言葉を人の姿にしたような立派な人だった。


なので、仕事が入らない可能性があっても、見合う仕事があればいけるかどうか問い合わせさせてもらって、なんか仕事していきたいとラブコールを送っていただけに、今回の閉鎖の報せは残念で仕方ない。もっとウチにチカラ(カネ)があれば。。。


きっと実直な人ほど、一社の仕事をとことんやりきるタイプの受け方をしてしまうのだろうと、勝手に思ってしまう。自分の周りがそうだからか、何を隠そう、僕の実家はとある一社一本で食ってた工場だったから。そういうスタンスの人を美化したい気持ちもなくはない。


だがしかし、経営と、そういった人間的美徳は常に一致するわけじゃない。


冷静に考えれば実家の場合は、取引先一社に対して忠誠を誓った工場として美化したい反面、おそらくは自身の営業力の弱さを棚上げした怠慢営業スタイルだったと反省する他ない。

結果として、取引先自体が縮小傾向にあれば、引きずられて工場も縮小傾向となり、10人以上いた工員さんたちは、最終的には二人になった。これはどう考えてもそこまで放っておいた方の運動量の問題で、相手に責任を持たせるものではない。


今日ご挨拶いただいた工場さんは、名刺にお抱えされていたブランドロゴを印刷するほど公認のお抱え具合だったので、相当なお話し合いの上での閉鎖だったとは思うし、双方納得のものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。もしかしたら工場のスタッフさんたちは結構急に困ることになったかもしれない。でも、もしかしたら実直な人だったから、工員さんたちにも説明は常にしていたかもしれない。


実情はわかんないから、とやかく言えないんだけど、地方工業や僕らみたいな中間業独立組は、この手の一本の大口顧客を頼りにしすぎるフシがあるのは否めない。工業は商社的な仕事が枯渇しないであろうところに着いていれば安泰と、他のお客さんを開拓することを放棄する人たちもいる。僕らみたいな中間独立組はそもそも独立のきっかけをその大口一本だけで生計を立てる算段の人だっているくらいだ。これは今回のコロナでもそれなりに炙り出された気がする。良いところと取り組みが出来てたら助かっただろうし、そうでもなければそのまま消えた。


淘汰されること自体は、僕は歓迎だ。必要とされていない、もしくは他力本願的な事業体はそもそも自力をつける気がないから、別の方向へエネルギーを注ぐために前向きにコトを進めていく場合、たまに足を引っ張ってきたり、邪魔になったりする。でもそれが、心が綺麗とか、人が良いとか、そういうのとは関係ないってのが、納得いかないって人が多い気がする。そう言いたい気持ちもわからんでもないけど、ボランティアだけでは人の生活は補助できない。経済が回ってこそ主張できる正義もあるんだということを強く感じて、経営を、運営するということを、改めて考えていかなければいけないと思ったっていう。

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