生地の勉強をしたい人たちへ。
勉強というのは、受け身状態ではなかなかと身につかないものだと思う。
「元も子もない。教える側の問題ではないか」と言われそうだが、インターネットにあふれている情報を拾いにいくという行為を一定の努力とした上で、さらにいうと、発信者は概ね一方的な良心というか、ビジネスにつなげようと思っている人もいるだろうけど、業界の底上げを願っての自発的なお節介というか、そんな感じの情報発信だと思うので、そこに対してもっとわかりやすくして欲しいって要望は、ご意見として受け取った上で、あえて僕は「できれば自力でここまで来て欲しいな」という部分もあるということを隠さずに表しておこうと思う。それは各々の覚悟の問題でもあると思われるので。
noteは有料にしている部分もあるし、産地の学校で授業を持たせてもらっているので、『人様に物事を教えるという』ことに関して、なんというか、白紙に絵を描く難しさを痛感している。noteも産地の学校も、情報を受け取る側は、『お金を払う』という『壁』を超えてくれているので、少なからず受け身とは一線を画すのだろうけれど、情報を受け取るという姿勢で得られた知識は、使い所のイメージがなかなか沸きにくいのではないか?という疑問も、僕にはある。
今月は緊急事態宣言明けということもあり、複数の停滞していた打ち合わせが一気に動き出し、心身ともに充実した月間だった。この期間でたくさんの新しく出会った人たちの中で、インターネットから僕を見つけ出し、自ら学ぼうとしている姿勢の人たちと何人か面談する機会があった。彼らに共通して言えることは、インターネットの情報だけにとどまらずに、実際に会いに来てくれたという、非常にエネルギーを使って会いに来てくれたこと。そして、学びを活かす目的をしっかりと持っているということ。物事を学ぶ上で、後者の意味合いは非常に強いと僕は思う。
正直言うと、わからないことがわからない時は、もう実戦でぶつかってわからないことを明確にしてもらうのが一番効くと思ってる。恥はかきすて。少し荒療治だけど、知らないことを知ってそれを学ぼうという引っ掛かりがあると、興味があれば知識は芋づる式につけられるんじゃないかなと。異論は認める。
— 山本 晴邦 (@HARUKUNI_Y) June 24, 2020
「わからないことがわからない」とは、前職時代も何人かの後輩に言われた言葉だ。これは入ったばかりの人たちにとっては自然なことだろう。それに対して、わからないことが言い訳にならないと突き放したい気持ちはなくはないが、今っぽくないので、「わからないことがわからないってことがわかったじゃん!」と、自分の中で相手を認めるところから始めると、僕自身穏やかな気持ちで対峙できることも最近はわかってきた。なので、少しでも学ぼうという気がある人に対して、「ここまで自力で来い」と最初から突き放すことはなくなってきたと思う、、たぶん。自分では。人にどう思われてるかはわからんけど。
白紙状態の人に対して知識を詰め込もうとする場合、モノゴトを点で切って教えていく必要がある。最初から線で描けるほどシンプルではないので情報が多すぎて入らない。でも、そのモノゴトというのが、モノゴト内でさらに連鎖して知識を要する場合が多く、これはこれ、それはそれ、と『点』にしていくことも非常に困難だと感じている。糸から始めたら、生地になる前に離脱しそうな気もするし、でも編みから始めたら、糸がわからないと進まない部分もある。前後したら混乱しそうだし、何より、それぞれの点の理解度を確認できない状態で線につなげていかなければいけない。先生ってすごいなぁって今非常にリスペクトが止まない。つまり『最終的な線』をイメージさせる導入が、今の段階では僕が下手すぎるのでそこは僕自身努力が必要なんだけど、『最終的な線』は学びを求める人にとっての『学ぶ目的』と一致した場合に学びの理解度が深くなる。これは、わからないことがわかっている状態だろう。具体的に何かにぶつかって、その壁を超えるために必要なツールとして知識が必要な場合、または知識を得た上でその知識を活かしたいイメージが具体的な場合だ。そういう人は、飲み込みも成長も早い印象がある。
生地の知識に関しては稚拙だが過去のアーカイブもある。掘ってくれたらたどり着ける情報もあると思う。そして今後も皆さんにわかりやすく何か生地に関する知識を発信していけたらと思う。カットソー生地のことなら。
その得た知識をどう活かすかという、具体的なイメージを持って色々と学んで欲しいと思う。願わくば、この繊維業界の少し歪んでしまっている仕組みを良い方向へ導けるように。そして従事者みんなが幸せになるような未来を信じて、少しでも貢献できるように僕自身も下手なりにやっていこうと思う。
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