僕が勉強を続ける理由。
僕は前職の入社面接で「僕は天才なんで」って言ってスベったけど、内心は本当にそう思ってた。でも売りに出されたら業界のプロ達は容赦無くて自分が出来ない現実に帰社途中で悔し涙を流してた。昔母親が「いくらであろうとお金をもらう時点でプロだから出来ない言い訳なんて許されない」を思い出した。
— 山本 晴邦 (@HARUKUNI_Y) May 28, 2019
「僕は天才なんで」でスベった話は下記のリンクを参考にしてもらうとして。
僕が繊維製品や付帯業務に関する勉強を続けているのは明確な理由がある。
それは年初にも書いた通り、具体的な話は端折るが、『この事業を通して社会に貢献していく』という目的があるからだ。
その事業を成功させていくことで副次的に起こり得る色々なことをイメージして、日々メイン事業である繊維製品製造販売を軸にお客さんと接点を持ち、将来へのステップを確実に進めている段階である。
結論としてはそうなのだが、先ほどの記事の通り、最初からこの業界を通して社会貢献をしたいなんて考えていたわけじゃない。だから、それはもう、もう、「いや普通わかるでしょ?」レベルの一般教養さえ身に付けず前職の門を叩いたのである。
幸運にも、前職は坊主頭に金色のメッシュが入った僕を拾ってくれた。コンビニなどアルバイトの面接を受けようと何軒も回ったのに履歴書を渡す前から、面接さえたどり着けなかった外見の僕を拾ってくれたのだ。
これはラッキーとしか言いようがない。
が、しかし、社会はそんなに甘くなかった。
営業に出たらそこはプロ集団の戦場だ。見てくれがチャラくどう考えても若造の僕は一瞬でカモだ。容赦ないタックルを浴びまくる。そんな理不尽な取引があるのか?と目を疑うような業者間癒着、莫大小界の不確かな物性、それを良しとせずバシバシクレーム入れてくる百貨店系etc、、、
(ダメだ、こんなところにいたら、すぐに死んでしまう)そう思った。
現に、当時歳の近かった桐生の振り屋さんは、千駄ヶ谷駅のホームで何度も飛び込み自殺を考えたそうだ。
営業先から帰社途中や、家で一人でいるときに人知れず悔し涙を流しながら、昔ある理由で母親と真面目な話をした時のことを思い出した。
「どんなん安うても、お金もろたら、そらプロとしてちゃんとせんなんわな。」
なんでそんな話になったのか覚えてない。が、そういえば高校時代のアルバイト先(民宿)でも、女将さんが言ってた、「ハル、一日¥7,000稼ぐのん、てぇそらろ(大変でしょ)?」と。
メソメソしてたその晩、色々な思い出がフラッシュバックして何かが吹っ切れた。
「そうだ、お金をもらっている以上プロなんだ。ちゃんと勉強して強くなろう」と決意するのだ。
そして会社で現場研修を申し出る。(というか、ごにょごにょ言ってたら「行きたいと思ってるならちゃんと言え!」と喫煙室で怒鳴られた)
そして編み工場の現場作業員として工場に入り、職長(工場長)にべったり張り付き、丸編みのいろはを学ぶ。(この職長の声が聞こえにくくてかなり難儀した)
そして当時は土曜日どの染工場も営業していたので、土曜日に関東近郊の染工場へ現場作業員として作業を手伝わせてもらいながら染色の勉強をした。
糸は来てくれる紡績工場の人たちの商談に積極的に参加し、疑問に思ったことはその場で質問したりするようにした。そして機会をみて紡績工場を周り、スピニングや原料を学んだ。
勉強を重ねていくと、営業先でしどろもどろしてた自分ではなくなっていく。胸を張って、お客さんの要望に耳を傾け、知識と経験で得られた引き出しから解決策を提案していく。こうしてプロとしてお客さんから必要としてもらえることに喜びを覚えていく。
今まで猛者だと思ってたような人たちが、実は大した知識もなく、ただ偉そうにしているだけだということに気づくようにもなる。そして、(本当にすごいな)って心から思っている人たちに重宝してもらえるようになっていく。
それ以来、もう泣くことはなかった。
それぞれの学びの中で、業界の課題も見えてくる。
工場の中にいる人にとっては当たり前の言葉も、僕らは知らないことだらけだ。しかしそんなのは業界の当たり前で、知らないってことでクレームを防げない現状など、かなり『販売』と『製造』の溝を感じていくのだ。
僕はいつの間にかバンドマンを本格的に断念し(今も少しはやってる)繊維のプロとして、『販売』と『製造』の溝を無くしていくために今この発信などを通して少しでも誰かの役に立てればと思う。
0コメント