努力が結果に現れない人たち。

どうも事務処理が苦手で、決算のことでかなり手間取ってしまった僕。前職時代から絶望的に事務処理はダメで、よく営業事務のSさんを困らせていた。Sさん、その節は本当にごめんなさい。

そして記事の更新頻度が下がってしまっていたので、待っていてくれた人、いたら、ごめんなさい。決算処理終わったからまたぼちぼち書いていくのでお付き合いくださいませ。


最近は色々と新しい動き(去年の6月から)を重ねていて、その結果が諸々と徐々に現れてきているので、我ながら(結構頑張ってんなー)って心の中でほのかに思いつつ、慢心せずにコツコツと積み上げて目的をどんどんと達成していくだけ。

いやしかし、周りを見回すと、自分の努力が認められずに不満を持っている人が多くいる。

自分の頑張りが認められないのって辛いよね。努力が結果に結びつかない時って悲しいよね。

わかる。わかるよ。うん。







いやごめん、うそ、全然わからん。


ほんとにその努力って間違ってなかったのかな?

『正しい努力だけが報われる』って言葉は、もう何年も前から言われ続けているから誰でもわかってるはずなんだろうけど、正しい方向のベクトル間違ってない?大丈夫?


営業職だったら、会社から与えられた予算ってある。それを超えてたら、それなりの評価だろう。でも、予算に対して未達で結果が出てないのに「頑張ってんのに評価が低い!」と不満を持つのは、申し訳ないけど、僕は贔屓目に見ても受け入れられない。フィジカルな運動量だけ無駄にあっても縦に積み上がらないものだってあるの、気づかないと結果に結びつかない。自己検証が全くされてない。

それなのにそういう人って結構いる。自分の評価が真っ当にされていないと感じる人たちに多く共通していると感じるのは、何事に関しても責任感が持ててない。心のどこかで全部「人ごと」なんだ。

裁量が与えららない人の特徴でもある。結果が伴わなかったことに対して検証ができない。他要因を探す。こうなると、自分に降りかかる多くの厄介ごとは全て世界のせいだと思い込む。そして無駄に自分のロジックを正当化する。

自分のやり方は間違ってないって思い込んでる。結果を見なよ、伴ってないのは本当に世間の責任かね。


僕は『因果応報』という言葉が好きだ。自業自得ともいうか。努力に結果がついてこない人は、自業自得なんじゃないの。自分を見つめ直したことあるのかな?

人は変わらない。変えられるのは自分だけ。

いろんな人がいるから、僕の考え方が絶対だとは思ってない。だから、物事の成否は見る角度によって異なることも理解している。

だからこそ、自分がどう動いたら、どういう結果になるか?っていうことを想像して、結果に結びつけるために、真の正義は曲げず、やり方(自分)を変えることで世界の景色は違ってくると僕は思う。

大事なのは自分の目的を達成することなら、自分の動き方を変えて目的に近く方法を考えて見よう。給料に反映させたいなら、圧倒的に結果が求められる。そういうことだ。

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