時間。

時の流れは早い。歳を重ねるほどにそのスピードは加速していく。


千駄ヶ谷に繊維戦士として入隊して20年が過ぎた。生まれ故郷である佐渡ヶ島で過ごした時間より、千駄ヶ谷で繊維戦士として戦っている方が長くなった。


昨今の業界事情から、繊維を離れる人々が多くなっている。今年は自分の身近でも多くの人、会社が繊維から離れていった。

その中には当然、大変お世話になった人たちがいる。今も決して自力だけでやっているとは思っていないが、年末に誘われる忘年会等で、年下しかいない会に参加し改めて、自分が伝える側になったと痛感する。僕も先人たちが僕に施してくれたように、仕事や普段のコミニュケーションを通してこの世界で生きていく術を少しでも伝えていけたらと思う。


僕らのような中間業の台頭で、前(アパレルメーカー)と後(受注製造工業)の繊維一般知識の乖離が大きくなり久しく、双方に対して言い方を選ばなければ『わがまま』になってしまった。これも時間が経つにつれて大きくなるばかりである。

その『わがまま』をしんどいとか苦労と思わず、目的のための要素と無感情に捉えながら粛々と業務遂行していくことで残存者利益にたどり着ける。感情の吐露は別の吐口を作ればそれで済む話だ。そういうある種の逃げ道がなく全ての『わがまま』がストレスになって離れていった人たちの多さは、それだけ無感情にやろうとしても度を超えてエスカレートしている現状を現しているに違いない。


言葉を選ばずに言い切ってしまえば、大衆は本当に考えることをしなくなった。と、僕は感じる。それぞれ個人レベル思考の度合いでは考えているのだろう。その人の視点に立てば考えているし、日々奮闘していることは間違いない。

それでも、短繊維を撚り合わせた糸からできている、極端な表現をすれば、毛羽の集合である衣類が摩擦で毛玉ができたことに対して粗悪品だと燃え上がる世の中を見て多くの繊維戦士が絶望したように、そのレベルでさえ考えることを放棄した世間を、この世の終わりと感じるか、大きな市場と取るかは、格差を助長する分岐点ではないかと僕は思っている。




ここで書いた通り、僕らの仕事はお世辞にも楽とは言えない。費用対効果で言えばきっと悪い部類だと思う。

でもネット上ではさもうまくいっているかのように振る舞い、月商ウン百万の作り方などをセミナーで売っている繊維事業者もいる。実態と虚構。決算書は全てを物語るので、それらの偽物感は、風の噂でさえいい評判を聞かないことが数字上でもしっかり現れている。

実務でうまくいかないから、実務外で収益を得る必要性があった。それだけのことである。ただ、そういう人たちが多く現れては、思い出話になるのも早く、時間は全てを洗い流してくれる。見分け方としては、発信の内容と実態の矛盾点に早く気付くことだ。発信も遡れば矛盾点が多いことに気付くだろう。それでもそこに縋るしかない人たちがいる事実もあり、そこがヤツらの市場になっていること、それ自体を悪だと切り捨てるつもりもない。


僕ら生粋の繊維戦士は、繊維ビギナーがそういう浮ついた虚構収益に飛びつかないように、ネット弁慶を牽制し、奴らの寿命を縮ていく必要がある一方で、ビギナーが繊維業界に入る間口を広げてくれている必要悪としても有効に活用していかなければならない。

それこそ、奴らの視点に立てばそれも正義であるから、生かしも殺しもしない。先にも書いた通り、そういう人たちがいてくれるおかげで、僕らのような業者が輝くのも事実である。


少し酔っているので取り留めもない話になってしまったが、良くも悪くもいろんな方面の人たちがいてくれるおかげで自分たちが立てるということを忘れずに今年を締めたいと思う。


みなさまお疲れ様でした。また来年もバチバチやりましょう。楽しかったね。

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