職人技を放棄するということじゃない。

僕は「製造側のエゴ」と言って作り手の想いがこもりすぎた商品を適正に市場へ出せないことを主張してきたが、これは技術を放棄しろと言っているのではない。

モノづくりの付加価値をどこにおくか?という点で、工業側と受け取る側のズレがあることを意識する必要があると言っているのだ。


某生地メーカーさんは海外から非常に高い評価を得ていて、逆輸入的に国内のアパレルメーカーからの引き合いは高い。

しかし国内で実売に至っているのはその技術がふんだんに取り込まれた商品ではない。彼らが上手いのは海外で評価を得た商品に国内アパレル向け廉価版を用意しているところだ。

ハイエンドはハイエンドで然るべき卸先へハマっていく。ここでは技術のエゴに芸術性も伴って作品とも呼べるプロダクトになっていく。これがある種のビッグネームだから、工業の方はマスの評価だと見誤る。当然ワールドクラスのビッグネームだから、納品物量は国内のそれとはレベルが違う。しかし海外に販路を持たないメーカーがこれをやると「ただ高いだけの人たち」になってしまう。

「クオリティにそんなに差が無いのにウチのは評価されなくて高いと言われる、、、」あたりまである。見る市場が違う。そもそも「良い物」という基準はユーザー側にある。

提供市場を冷静に見れば、エゴが芸術と評されるのかただの高い物になってしまうのかすぐわかる。

工業の「技術」は最終製品を作り上げるための「一要素」でしかないのだからそこを押し売りしてもファッション商品に絶対的な付加価値を与えるものではない。


しかしここで「じゃあ別に良い物作らなくても良いのか。」と安易な結論を導きだされては困る。日本の市場は良い物でも安いところが勝つ市場になってしまった。それどころか、「こんなに良い物なのにこんなに安い日本製」があるのが当たり前になった。もちろんそれは問屋の資本力による数の暴力もある。だからと言ってモノづくりを放棄したら、いよいよ勝機など無い。

小口でも高品質を求めているメーカーはたくさんあり、その顧客開拓をして商品提供を続け認められるようになれば、派生的に大口からのオファーも出てくるはずだ。良い流れは良い商売を呼ぶ。

その状態を目指すには、技術の向上や開発は日々積み上げていかなければ、チャンスがきても掴み損ねてしまうことになる。


常に技術と向き合い、顧客との感覚を擦り合わせて感度を上げる、そして自社を必要としてくれる市場を探す。これらをバランスよくやっていくのが良いのではないか。

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