メンタル。

昨晩、夜中にXで「最近のファッション業界(おそらく国内)の川下は試すことが出来る(または許される)方々が少ない」という投稿を見かけた。


いつの時代もどの業界でも先に生まれて経験を積んだ人たちから見たら、若い方々には同情と非難が往来する。あの頃はこうだったみたいなケースは、今の時代に合っていないこともあるので、非難に関しては全く賛同できないし、昔は良かった今の子はかわいそう的な同情に関しても、今の時代がそうでない以上、言葉の受け手はマウントにしか感じられないだろうから余計なお世話なんだろうと思う。

実際僕も、昔はこうだった的な様々な言葉を目上の方々からありがたく頂戴し、その度に心の中で中指を立てていた。


懐古的に生き様を語るのは、当人にとってもあの時の気持ちをもう一度思い出すいいきっかけにもなるだろうし、嬉々として武勇伝を言いたくなる気持ちは、わからんでもない。気持ちいいもんね。それがダルいんだろうけど。

もちろん、すべてがすべて若い人にとって無意味な話ではないし、学べる人はどんな話からも学び取るので、超極論で言えば、本人次第。無責任な言い方かもしれないけれど。


とはいえ、事が事なら精神は消耗する。これは事実。

苦労は買ってでもしろという先人の教えは、その先に鋼の心臓を手に入れることが出来るぞという自己研鑽を促す意味があるのだと僕は思っている。


ことモノづくりの現場である我らの繊維業界は、一つ試しに何か作るにも現金が必要になる。これを必要経費と認めて案件を推し進めるにも、お金の融通をきかせてもらえるかどうか上長の決済が必要なのがサラリーマンの世界。

この手順の面倒くささや、とりあえずやってみたいというノリだけでその先のビジネスまでどう繋げるか絵が描けないと、なかなか思った通りにやらせてもらえないってのがいわゆる普通の会社。

小さいことでもお金が絡むので、だんだんと意欲が削られていく気持ちは痛いほどわかる。そうやって挑戦することが少なくなっていくんだろう。


そんな普通の環境下において、会社の看板を使って無双してもいいというマインドになるまでには、やはり怪我を繰り返しつつ結果を伴いながら打席に立ち続ける必要がある。勇気のいることだ。人間関係をギクシャクさせたくないという気持ちから、否決されることを避けていると、挑戦そのものに対して億劫になり、だんだんと卑屈になったり、活躍していく人たちを妬んでしまったりするようになったりもするだろう。


真面目な人ほどこれに苦しむ。


前職時代の話ばかりで恐縮だけれど、僕が吹っ切れた時のことを少し。


モノづくりにはトラブルがつきまとう。

その時も、自分の依頼精度は今見てもおそらく問題がないものだった。ただその時は、現場が数値を合わせるダイヤルを一周分間違えて設定してしまっていたため、アーガイルの柄がサンプルよりも一回り大きく出来上がってしまった話だ。


高級ウールの、量産品である。


納期はお盆休み前の投入を絶対とされていた8月7日、生地の上がり見本が届いて脳が揺れたのを覚えている。揺れて真っ白になった。

見ていても大きさが元のサンプルと同じになるはずもないのに、しばらく見ていることしかできなかった。

ようやく状況報告のため動き出し電話でお客様に事実を伝えるも、お客様は激昂し「なんとかしろ!わかるだろ!」と怒号を浴びせてくる。どうにもならんっつーの。

そこから取り急ぎ糸在庫確認し編み場、染色工場とやり取りしてリカバリー出来るのが一ヶ月後。それを伝えたところで「わかった」と言ってくれる状況じゃないのもわかってるけどとりあえずそれしかその時はできないから伝えた。

結論から言うと、当時の製造原価100万近くかかっている間違った商品を丸々損切りして、新しく作りなおした上、納期遅れ分の値引きペナルティを喰らってなんとか物は納める方向で着地した。利益なんて残らないどころか、納めたって損する状態だった。これは納まっているのかどうかわからんけど、とりあえず着地はした。

散々罵詈雑言を浴びて、ほぼ自暴自棄になりかけた。というか、放心状態でその時やるべきことが思いつかず、一人で生地ハンガーをひたすら作り続けていた。

盆休み前日だったので、上司に「打ち上げしませんか」と言った。上司は「打ち上げってなんやねん笑」と言いながらも、飲みに連れて行ってくれた。


その上司は僕らに武勇伝を語る人でも、あの頃はどうだったとか言う人でもなかった。

上司はとりあえず当時の僕の状況をわかっていたし、それくらいの損失や客先からの罵詈雑言も経験していただろうけど、身の上話はその酒の席でも言わなかった。

ぶっちゃけバンドマンとしても行き詰まっていた僕としては、もう何もかもやめてしまいたい衝動の方が強く、アルコールの勢いで全部リセットできる何かきっかけを探していたかもしれない。

そんな僕に向かって上司は一言「別に命まで取られへんから大丈夫やで」と言ってくれた。


非常にシンプルな言葉だけれど、不思議とそこで身が軽くなった。


少し、いや結構前にどこかの編集者が「死ぬこと以外かすり傷」って本書いてた。

読んだことないし、後日「かすり傷も痛かった(だっけ?)」って本人も言ってたので、やっぱ怪我すんのは嫌だ。だからできるだけみんな、本とか読んだり、学校とか行って勉強するんだと思う。

でも現場で、その教養を冷静に引き出して事にあたれるかどうか。意外と焦燥から座学で学んだことは無力だと実感することの方が多かったのが僕の体感。現場での実体験はそのメンタルの強さも試されるので、実戦に勝るものはないんじゃないかって思ってる。痛みは伴う、でも痛いってわかるから、次は慎重になる部分もクリアに見えてくる。


強い言葉で怒られたりするのは相手も人間、感情があるから。怒ったって状況は変わらないから、そういう時は事実だけ見て、罵詈雑言はノイズで処理。トラブルを共に乗り越えれば明日は戦友になれる。

そんな同志が時と共に増えるかどうかは、やはり挑戦し続けることじゃないかなって思う。


荒波を好まず凪で平穏に過ごしたい人もいるだろうから、これが正解ってわけじゃないし、やってないからダメな人間ってこともない。それはその人の選んだ人生だから。

でもやっていきたいって思うなら、挑戦を避けて通った先に受注も背景もついてこない将来ほど、精神を削られることはないんじゃないかなとも思う。


だから頑張って挑戦した方がいいと僕は思う。自分で選んだ道ならね。

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