いい人。

僕にとって前の会社は、社会に出る初めての会社だったので、そこで学ぶことが社会においての処世術になっていったのは言うまでもない。

もちろん生まれ育った家庭環境や学生時代の経験全てが影響していない訳ではないが、ことビジネスにおいては前職時代に経験したことで学んだことがほぼ全てと言っても過言ではない。

特に一番指導いただいた元上司のM常務には、在職中他社の方から「M常務かと思った」と言われるほど似てしまうくらい影響を受けた。


M常務は最初、僕にとってめちゃくちゃコワイ人だった。

とにかく怒ってた。ように見えた。少なくとも僕に対しては。というか営業として数字が立つようになるまでは毎日結構激しく怒られてた。

M「おい山本、俺の〇〇(生地の名前)どこやった?」

山本「はい?」(いや俺のって知らんし)

M「はい?じゃねぇよ、お前ハンガーどこやったんだよバカヤロウ!」

など、この会話のやりとりだけ見ると理不尽にM常務がパワハラ上司に見える。

少なくとも当時の僕には理不尽で傲慢なパワハラ上司にしか見えなかった。が、しかし物事には前後があって、実はその前後のつながりを意識できずにポンコツだったのは他ならぬ僕だった。

M常務は全体を見渡して会話の流れを聞くことで、断片的に出てくる要求に対して流れに則した対応ができるというスキルを教えてくれていたのだが、ポンコツの僕は汲み取ることができていなかった。

そればかりか、学生時代はヤンキー風でバリバリのバンドマンだった僕は無駄に尖っていて、とにかくやたらと社会に不満を持っていたから、その誤った尖りを武器にM常務に対して凄んだこともあったが、、今思えば、、、バカな行為だった。若気の至りで流してもらおう。


営業に出るようになると、最初はM常務の顧客さんを二人三脚で取り組んだ。

とある仕入先が納期遅れした際に、顧客さんへ謝罪に伺う道中でトラブルの原因を探ると、仕入先が「山本さんから発注書がすぐ入って来なかったから電話では聞いてたけど動けなかった」と言われた。

そこで僕がM常務へ「僕は電話で言ってあった」と自分保身の説明をしてしまったので、M常務から過去一番のお叱りを受けた。

仕入先は書面の契約でしか動けないのに口頭指示だけで書面は後日になってしまっていた、正しく指示を出さなければいけないのは自分、その結果に対して自分を棚に上げた。最低だ。

しかし、若かった僕は「言ってあった」という事実と、遅れた口実を自分のせいにしてきた仕入先の言い訳を忌々しく思って反論した。「僕は悪くない!」って。

M常務はその日の夜、他の社員が退社した後2人きりになってから静かな口調で色々教えてくれた。

M「ええか、仕入先や工場はな、お前が指示したらな動かれへんねん。それからな、指示出す時は発注書面をこれでもか!ってくらい細かく詳しく書いたれ、そうやないとトラブルんなった時またお前のせいにされんで。お前今日、自分が悪いって言われて悔しかったやろ?」

山本「うん、だって僕言ったもん」

M「せやな、事実はそうだったとして、証拠は残らへんよな。向こう(仕入先)もお前1人を相手にしてるんとちゃうんやから、そんなもん言うた言わんでしょうもない喧嘩すなや。発注書ちゃんと書いたったら証拠残るやろ、その発注書と違うモン上がってきたら向こう(仕入先)に文句言うてもええよ。」

山本「わかった、じゃ完璧に生地の作り方おぼえて仕入先に負けないようにする。」

M「うん、そやな、生地おぼえるのはええことや。まぁそやけどお前、戦う相手まちごうてるで。」

山本「なんで?工場がミスらんかったら僕は仕事ちゃんとできるじゃん。」

M「そこやねん。お前は自分が仕事できるかどうかしか考えてへん。なんの為にうちは生地作ってると思う?」

山本「工場があるから売り上げ上げて工員さんたちの給料稼がんなんからでしょ?」(事実、非営業の分も稼がなければならない為、自分の給料の5倍以上利益を上げろとM常務から教えられていた)

M「んーまぁ俺がそう言うたからな。でも本意はそこちゃうねん。お客さんに喜んでもらうためやで。利益っていうのはお客さんが喜んで納得して買ってくれるから後から付いてくるんやで。その為にお前はお客さんが動きやすくできるように商品を用意したらなあかん。お客さんにもお客さんがおってやな。生地売って終いちゃうねんで、服なって服買うてくれる人がおるからその人らまでちゃんと見据えて準備したったら、お前のお客さんは喜んでくれはるんとちゃうんかな。」


金髪で生意気で口ごたえばかり言う若造の僕に、彼はこんなにも丁寧に教えてくれた。

親が子供に「勉強しろ」と言うのは、勉強することがエラいのではなくて、勉強して得た知識が将来役にたつと言うことを言いたいのと同じで、言葉の表層が誤解を産むことは珍しくない。

M常務もまた言葉が足りていなかった部分もあるが、彼のおかげで僕は大事な部分をちゃんと学ぶことができた。

僕が「25歳で会社やめてロックスターになってやる!」って大江戸線の六本木駅で言った時も「そうか」と言っただけで、その後も仕事のやり方を教えることをやめずに僕と向き合ってくれた。

僕が「独立する」って言った時には「そうやろな」と言って一番応援してくれた。

今では年に一度、弊社の決算が終わった時に必ず会食をしている。そして色々と業界の情報交換をしながら談笑し、会食後には「お前が向かってる先は間違ってない、頑張れ」とLINEをくれる。


M常務は僕が人生で出会った人の中で一番「いい人」だと思う。

そんな彼は関西弁を喋るのだが、生まれも育ちも東京の人だ。

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