「優しい」の意味。
僕の知り合いの縫製振り屋さんは、まぁ、アレだ。 うん。 優しい。
その優しいという人柄が仕事にどう影響するのか、そしてそれは本当に優しいのだろうか。
彼はいつも動き回って商品を組み上げていくスタイルなので忙しい。
だから、正直コミュニケーショントラブルも多い。
真面目で一生懸命。だけどちょっと真っ直ぐすぎて、0か100かのようなタイプの人だ。
彼が仕事を出している工場さんは大きめな工場の下請けだったりするような家産業系の小規模工場がメインだ。
だからまぁ、だからという訳でもないかもしれないが、正直大なり小なりトラブルが多いようだ。
トラブル自体は起こっても仕方ない。しかし、彼は工場を守る為に必死にお客さんと戦う。
彼は工場を何よりも大切にし、工場がやりやすいようにお客さんにわかりやすく指示をくれるように頼んだりする。
もちろんお客さんも大切にしている。
だが彼はOEM業者にぶら下がる縫製振り屋さんなので割と工場寄りの人だ。
だからトラブルが起こった後の処理も、工場へ金銭的ダメージが少ないように対応している。
孫請けの工場がクレームの金額をモロに食らったら、余裕で潰れる。
しかし彼が工場を守るがあまり、工場は彼に甘える。
彼に甘えるから工場は技術的に進歩することも難しく、そして時代に取り残されつつある。
そういう工場は後継者も少ないが、彼が仕事を斡旋してくれるので不気味なくらい危機感がない。
そして小さなトラブルが解消することなく続発する。テヘペロ状態。
本来であれば既に自然淘汰されてもおかしくないような工場を、彼はその工場がなければ仕事ができないと一生懸命に守る。優しい。いや、優しいのか?
工場の人にしてみたら、ありがたい存在だろう。いや、ありがたいのか。
工場は彼に甘えてしまい、このままでもトラブルが起きても仕事がもらえると思っている。
ミスをしても仕事を回してくれるという意味ではありがたいだろう。
でも実際にはその工場たちは技術の進歩も前に出る意識も後継者を育てる気持ちも無い人たちになってしまったのではないか。
工場としては成長するための気づきがないのではないか。それは工場にとって良いことなのだろうか。
また、そんな工場で組み上げられた商品を受け取るお客さんたちはどうなんだろう。
確かに「とりあえず縫い上がればOK」的なカットソーの仕事はある。
そういうお客さんがたくさんいるのも知ってる。依頼者も莫大小な仕事だ。
「たかがTシャツくらいで、、」これは彼との会話で、彼の口から出た言葉だ。
僕はその言葉を忘れない。僕はそういう人と仕事したくない。
優しい人かもしれないが、思っていない言葉は口から自然と出てこない。つまり商品に対してはどこかでおろそかにしているのだ。
僕はそういう人たちの手で作られた服を、僕のお客さんには渡したくない。
彼の工場も工場なら、彼の依頼者も依頼者である。
やりやすいから、優しいから、そんなんで仕事回して良いのか。
孫請け工場は確かに便利だ。規模も程よく小回りも利く。
だが感覚的には日銭を稼ぐ為に作業しているのに近い。
彼はこのような工場さんを守る。それは本当に優しいのか。
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