お金と気持ち。

そういえばどこかの御大が服の原価がどうのこうの仰って大炎上したことが昔あったな。

原材料だけで物が完成して適正売価で手に入らないのはおかしいという理論は、一見全方位的に成立しているようで、実は確実に誰かを苦しめることになるというのは、おそらくもう周知の事実と考えている前提で進めていきたいと思う。


中抜きで適正単価理論の不成立を、今朝少し目にした『ビーカーは有償』という部分から考えてみたい。

『ビーカー』とは、ワタなり、糸なり、生地または服なりに『色』をつけるために染色という作業をするのだが、いきなりぶっつけ本番でドボンというわけにはいかない。失敗したらどうすんの案件なので、染色対象になるものを任意の色できちんと染められるか試してデータをとる作業のことを『ビーカー』という。

で、これも当然、人間が関わり、作業やら確認やら発送などをするので、当然『コスト』がかかる。

常々発信させてもらっている通り、依頼者に染色に関する知識があればそれほど問題にならないが、ほとんどが染めの素人なので、ビーカーが一発で決まらず何往復もすることだってある。


黄味に振れていますので再ビーカー

赤味が足りません再ビーカー

赤すぎます再ビーカー

濃度10%ダウンで再ビーカー etc...

これ、染め屋さんが下手くそっていう意見もたまにあるんだけど、実際にそれもあるんだけど、大体の場合は色出しも下手くそだし、検色条件が揃ってないから一向に依頼と上がりの色味が揃わないなんてことも、よくある。

ビーカーに関して詳しくはこちらをどうぞ。

10%濃度どうのこうのなどの問題は、いつだって生地メーカーと染色工場の間では(いやそれ、やる必要なくね?)と内心思われてる最たる例だ。それはもう、依頼するだけで作業者の感情を逆撫でる。なぜなら10%の濃度差は淡色ならわずかながらに感じるか、またはほとんどの人が目視で判別できるほどの差異を産まないからだ。

ただ、それを無知だのなんだのと責め立てたところで、相手だってその答えを導くために一所懸命に売れる商品とは、ブランドらしさとはなどなどと格闘しているわけで、その上でさらに「工場さんに具体的な指示を」と思い捻り出した10%濃度変更という、そりゃガチプロからしたら(草)かもしれんけど、それくらいのイメージにたどりついてる可能性があるという想像力を働かせたら、責め立てる必要など全くなくなるのではないかと思うのである。


依頼者も、サービスなんだから言う通りやってよではない場合がある、という意識の話だ。

当然、工場の負担があるのもわかっている。


ここの差異は、おそらく会計上の問題もある。

商業系の人件費は大体が販売管理費なのに対して、工場の人件費、特に工場労働者の工賃とはつまり原材料費なので、名目が違っているというのを最近学んだ。

そう考えると、工場の人は指示以上のサービスを求められても「?」というマインドになるのは、仕方のないことなのかもしれない。

だから依頼内容は翻訳が必要になる。そして「色味が違うから」っていうビーカー確認の往復を必要最小限にする能力が求められる。それを中間の人たちが捌いてるという事実も認識しておく必要があるかもしれない。


色味に対して3パターン依頼をするのは、一発で返事がもらえるようにするための、ささやかな努力だ。それが嫌なら、どんな色見本が届いても、どの光源でみても対象がドンズバで染まってるビーカーを出すしかない。それでも一個しかなければ違って見えたらアウトなんだから、その可能性を考えて複数パターン依頼している、そしたら一発で選んでくださる可能性がぐんと上がる。お互いにロスが減らせるのだ。

逆に言えば、依頼者側が工場様向けに色々と考えている時間的コストも十分にお金に換算することもできるわけなのだから、一概に工場側の負担だけがどうだというのも、少しだけ違和感が残るなと個人的には感じる。

感情的に捨てビーカーは無駄だ!なんて言わないで、こういう背景もあるよって意識すると、工場さん側も、歩み寄れる気持ちになれるかもしれないなと思った月曜の朝の話。

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