なんでできないのか。

僕は性格が悪い。これはもう、自覚があるし、最近は周りからも言われるようになったので、たぶん本当に性格が悪い。実は内心、周りからは「そんなことないよ」って言ってもらえると思ってただけに、まぁ言われてもそうかもな、でもちょっとだけ落ち込んだので改善していきたいと思う。

そんなことはどうでもよくて、先日、ワタが服になるまでの全工程を久々にまわらせてもらった。

いやぁ、やっぱ現場はいい。現場上がりの人間としては、工程が重なって次々と形を変えていくその全てに、人の息遣いが宿る感覚というのは、とてもたまらん。

そして、これだけたくさんの人間と設備が関わって一枚の服を作り上げていく様を知った上で言う「なんでできないんですか?」と、全く何も知らないで言う「なんでできないんですか?」は、同じ言葉でも重みが違ってくる。それを改めて痛感した。


物理的に可能不可能という話は、おそらく現場を見たら解決の道は早い。機械の構造上の問題だったり、または人員配置なのか、様々な要因があるが、とりあえず目視したら物理的な問題は理解できる。

しかし、『できない』と言われる時、それが物理的な可否ではなく、心理的な場合があるというのも忘れてはいけない。


いつも問題になりやすいこの心理的『できない』は、多くの場合、現場にて作業をしてくれている人の気持ちを無視した依頼だ。それは金額で解決できるものでもない。一見すると現場の甘えにも見えるその気心知れた仲としか商売したくない感覚は、過去の色々な経験から蓄積された負の記憶に因るものだと考える。


たぶん本来は善意の元、双方に発展を目指して取り組みを始めたと思うんだ。商売を始めていく手始めは概ねポジティブなはずだ。ところが、仕事が全て、双方にとって利益になるとは限らない。そして大体は受け手にとって、買う側が強いと感じられる『無理強い』を経験して、商売を継続していこうという気を失くしてしまうのだ。
おそらく、買う側からしたら、悪意はないのだろう。たぶん。でも現場の感情的に受け入れられないやり方や言い方を、知らないうちにやってしまってるんだと思う。

間に立って長くなると、なんとなく、双方に悪気がないのはわかってくる。
ビジネスとして無感情に進めることが出来たらどんなに楽だろう、そう思うことは少なくない。成果物に対して支払われる対価と、もっと言うと、その成果物をもって喜んでもらえたのか、そういうことも感じたいのだ。いや、そういうことを感じたいのだ。

そういう意味では、物理的に無理しても対応したい相手がいるのだ。それが何を意味するかは、自分の仕事で反応してくれている仕入先さんの動きをみたら、自分の仕事の仕方を改めて考え直すきっかけになるかもしれない。

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