目的を忘れるな。
人は時として、手法に囚われてしまうことがある。
モノづくりに傾倒してくると、深読みが先行し、本来目的であった「こう言うの作りたい」というゴールから、テクニックに注目が移り、次第にそのテクニックを使う為に周りをこねくり回すようになってしまう。
こうなると、製造加工業は技術領域なので色々とアイデアが出てきて、ものすごく仕事が進んだ感じがする。充足感もある。モノづくりしてる!っていう感じすごい出る。
しかし、そこまで突き詰めて加工して仕上げてきたものが、出来上がってみたら求められていたものと違っていた、ということは、よくある。
それが違っていたと言われてしまうと、「なんでこの良さがわからんのか?」って具合に反発してしまうこともまた、よくある。
気持ち的に、一生懸命取り組んだものが認められない時に反発したくなるっていうのは、わかる。頑張ったら褒めてもらいたいものだ。ただその頑張りが、求められていないものだった時、自分の運動量に対して向けられる評価というのは想像していたものと異なるのだろう。
やらなければ結果は出ないから、やるのは当然の一歩目としても、やったからと言って必ずしも満足する結果が得られるわけではない。
その手応えがなかった時、それがなぜなのか、しっかりと向き合って修正していく真摯な態度がなければ、いくらやっても伸びないもんだ。おっと、盛大に脱線しているようだ。
手応えを感じない時は、目的を見失ってる場合がほとんどな気がする。
例えば最初は「ヴィンテージの風合いが欲しい」だったのが、「〇〇っていう加工なら雰囲気が出るかもしれない」となって、今度はその〇〇っていう加工に固執する余り、わざわざこねくり回さなくてもよい議論が交わされ、結果的に何がしたかったのか忘れ去られて、どうやったらその〇〇っていう加工を活かせるのか?ということが目的になったりしてしまう。ヴィンテージの風合いが欲しいという目的はどこへ行ったのか?と。
売上を上げたいからホームページを作って集客をしていこうにも、露出がなければ引っ掛かりもしない。そして売上が上がるというのは、誤解を恐れずに言えば、お客さんが喜んでくれた数の分だけ上がる。瞬間最大風速を上げるのではなく、継続的発展の場合の話しだ。
つまり商いの目的とは、技術を高めるだけでなく、そこにその技術が良いものだというバイアスを自分にかけていくのでもなく、高めた技術によって、お客さんが喜んでくれることを目指す、またはお客さんに喜んでもらう為に技術を高めていくことなのではないかと、僕は思うのであった。
なんの話だっけ?
0コメント