無知の知。

このタイトル、前にも書いたかな?


まぁいいや、近年仕事をする上で、パソコンやインターネットを使って作業をすることは完全にインフラとなった。今後はこの流れを止める理由もなくなるので、そういったツールと向かい合う姿勢が、ある種、仕事の有無を左右する可能性さえ出てきた。

しかし皆が皆、パソコンやインターネットに明るいわけではない。


アパレル生産においても、依頼主は出入業者をプロだと信じて疑わないので、依頼主の目線で話を進める。

しかし、業者が必ずしも、その道のプロとは限らない。


それぞれの場面で、『知らない』ということは、別に悪いことではない。僕が全てに精通しているわけでもないから、知らないことを責める理由なんてないし、こと専門分野に関しては、これだけ細分化された領域がある世の中なので『知らない』ことがあることなんて当たり前である。

問題は、『知らない』ことを『知らない』まま、進めてしまうことだ。
分からないことが分かってないと、分かっているテイで物事が進んで何か壁にぶつかった時、問題点がどこだったか?など、段階的に戻ることも難しくなってしまう。


また、分かってないことが分かってないまま、分かったフリで進んだ場合、一気に付いていけないレベルまで引き上げられてしまう可能性もあり、そして後戻りしようにも出来ないくらい重大な事になってしまっている場合もある。


僕は不器用だから、知らない、分からないことに躓いた時、人より時間がかかっても、知りたい、わかりたいと思う。
いや、うそ、ごめんちょっとかっこよく言いすぎた。本当は昔は、分からない人の気持ちがわからなかった。知らないことを知らない人の気持ちがわからなかった。
僕はどっちかっていうと、たぶん飲み込みが早い方だと思う。だから、理解が及ばない人の気持ちが全く理解できなかった。

でも一人で勝てる試合の結果なんてたかが知れてると気づいた時、僕の理解が及ばない人たちがどれだけ成果に寄与してくれているか分かった。
だから、分からないっていう人の、分からないところを知ろうとした。これが結構良かった。と、思う。

そういう意識が出来てくると、分かった風の人、知ったかぶりの人が、結構すぐわかるようになってきた。むしろ、分からない、知らないって言える人の方が、圧倒的に物事の吸収が早い。

だから、パソコンの仕組みも、インターネットも、生地作りも、『知らない』ってことを知るのは楽しい。そして、『知らない』って言える人と向かい合うことは、僕の無知の知を改めて教えてもらえているということだ。とても前向きじゃないか。

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