蛙。

『井の中の蛙大海を知らず』とは一般的に視野の狭さを嘆くイメージがついている。その先に『されど空の深さを知る』という続きがあり、一つのことを突き詰めることで辿り着けない境地があるという前向きな説があるらしいが、それは荘子の原典にないことから色々な憶測がある。


『茹でガエル』なども、知らぬ間にダメになるぞと警鐘を鳴らす慣用句的なイメージがあるが、蛙は実際熱くなる前に飛び出すそうだ。


さて、いつだったかのヤーンフェアで某綿紡績様と知り合い、以降、来京の際はよくご来社くださるので色々とざっくばらんに話している。


老舗でありながら昨今の国内紡績綿糸の売れ行きの鈍さに焦りがあるらしい。おそらく老舗でなくとも、一般綿糸の市場は国内に限らず輸入糸がコストパフォーマンス面で圧倒的に有利なので番手展開や特殊原材料(超長綿系)及び特殊紡績方法その組み合わせで存在価値を見出していかなければならない、と、思っている綿紡績マンがほとんどだろう。


だからどうしても、綿紡績様方との商談は、非常にテクニカルな話に終始する。これは僕も大好物なので、何時間でもいける。いけるけど、誰もついてこない。


『良いもの』の概念が、特にモノづくりの製造側にいると、ほとんどが足し算になる。結果コストも上がるから、単価が高い商品になるのは当たり前体操なのだが、どうしても普段紡績機と向かい合っている人たちからすると、それが『良いもの』であるという確信はダイヤモンド並みに硬い。


だから、その価値ある『良いもの』が売れない理由がよくわからない。あるある。

いや、実はうっすら気づいてはいる。それは値段が高いから。そう、高いのだ。


川上でいくところの値段が高いのは品質の証左でもあるように、物の程度が低いわけではない。これは間違いない。だって足し算だから。原料も技術も全部足し算されるから。

そして生まれる高級綿糸、これが生地になる段階で色々な人たちの思惑に左右され、結果的に原料ポテンシャルを引き出せていない場合がある。でも値段は高くなる。

もっと言えばその原料、そのスピニングでやった理由なんなの?的な、糸ですでにボケ殺ししてる感じのやつもあったりする。狙いは「世間にないから」というオチ。


これら特異原糸に対して「おもしろい!」とアンテナが反応する人はそれほど多くない。

そして先にも書いたように、服になる前に生地になる、その過程でなぶる人たちが糸のポテンシャルを引き出しているかどうかも問題になり、結果服になってお値段以上の価値がその服にあるかどうか、ということ。


老舗の紡績マンはある日ついにお客様にお願いしてブランド様の展示会にお邪魔したそうだ。


「いやぁ、衝撃でしたわ・・・」


自分たちで作った糸がどれかは辛うじてわかったらしい。それが商品になり、値段がついて、似たような他の商品と比べた時の差が、値段以上に感じられなかったことへの落胆だ。


しかしこれは、非常に意味のある落胆だ。空の深さを知る井の中の蛙が大海へ出たのだ。少しずつ熱くなる湯に危機感を覚え飛び出し、茹で上がって死なずに済んだではないか。


そういえば服装も少し、カジュアルになってた。よく言えば垢抜けた。

いや、まぁ、正直まだまだイモい(失礼)けど、将来は明るい。


過去にもこの手の期待値をかける繊維戦士は結構いた。特に川下から上がってくる人たち。販売から染色、販売から紡績、これらのキャリアをもつ人たち、入口こそ自分たちが売り場で感じていたことを活かそうとキラキラしていた。僕もその思いに大いに期待した。

2-3年もしたら、しっかり現場の人になってた。これはもう、そういうもんだ仕方ない。


でも老舗紡績マンの彼は流れが逆だ。そこから繊維ドリームを掴んだ人を、僕は一人だけ知っている。どんな流れをつくろうか。楽しみだね。

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