原因論。
プロ野球選手のLADGS大谷選手が前人未到の51-51を達成した記念すべき日。きっと彼は常人では想像もできないくらいの鍛錬を積み重ねることでこのパフォーマンスに繋げているに違いない。
ラジオでは連日記録以降最長の猛暑日更新を伝えている。これも地球温暖化によるもので温室効果ガスを削減するようにと、決定付けられているように語られている。
このように因果応報、全てのことには原因があり今の結果につながっていると。そう考える方が、人は納得がいくのだろう。
僕もそう思う部分はある。そう考えた方が色々と便利だからだ。
例えばこの繊維業界の現状、服が売れない、国産地が疲弊している、などなど、これらに環境因子で理由づけすることで仕方ないことだと思うか、違う動きを取るための参考とするか、いずれにせよ原因を見つけて次のアクションに活かすという行為は非常に便利だ。
一方で、どれだけ自分はまともにやっているつもりでも、報われないと嘆く人々もいる。原因論に立ち返れば、これらが報われないのはおかしい、誰かのせいだ、ということになりやすい。
SNS上での話ばかりで恐縮だが、主に自分の関係各位外の繊維人たちの情報源がSNSなのでご容赦いただきたい。
SNS上ではやはり、いまだに出し手側と受け手側でそれぞれの意見の食い違いによる軋轢が絶えないと見える。とりわけ工場サイドの嘆きは、見たくなくても目に入るのだからきっと相対的に受け手側は不満が多いのだろう。
彼らの言い分はこうだ。
不遇な扱いを受けるのは相手から大切にされていない証拠だ。と。
まぁ分からんでもない。真面目に働いても相手のいい加減さで不当な扱いを受けていると感じるのは、当人の目線で言えばごもっともな主張である。
この原因は当人の努力と掛からないから、相手方に他責できる、ということになる。
ではこの先、どうしたら良いのだろうか。
そういった相手と付き合いをなくすことも選択肢の一つになるだろう。
そして「こんな奴がいた!許せん!おかしい!」とネットの海に流すことで、俺と付き合うときは気をつけろよっていうサインを出せば、以降周囲は気を遣って色々と配慮するようになる可能性も出てくる。見事なスクリーニングだ。
またはいったん冷静になって、もしかして俺にも至らない点があるからこういうことになってる可能性もあるんじゃね?的な、自責原因論に立ち返ってみるとする。
人の態度は自分の態度の写し鏡という言葉もあるくらいだから、日々真面目に励んでいるつもりでも、相手方にとって不都合な、何か不満を与えるような行為が、知らず知らずのうちにあったのではないか、と考えてみる。
そこで仮に相手に至らない点があったと確信できたとして、冷静な俺は今、そんな相手の至らなさを自分の器でカバーできるぜっていう包容力を得ることができるかもしれない。
すると、行動が変わり相手も変わってくる可能性があり、さらに関係が良くなっていくかもしれない。ないかもしれない。
でも冷静に自責できる器を手に入れたから、それでもダメならスッと距離をとってお互いに遺恨なく離れることができるので、以降自分たちの悪い噂を知らない内に立てられてしまうリスクを下げることができる。
2択ではないけれど、前者の場合、今では公の場になってしまったネットにネガティブな感情で情報を流してしまうと、もしかして未来の良いお客様になるかもしれない人も、躊躇して関係を築けない可能性もある。
僕も過去の投稿やこのブログを遡ってもらえばわかると思うが、非常に牽制する内容が多い。故に「ヤマモトはこわいんじゃないか」という噂も耳に入る、というか直接言ってきた人もいる。(その人とは仲良し)
さて、何のためにSNSやネットで情報発信するのか。なんでも良いから捌け口として採用しているなら何の問題もない。発言は自由だ。しかし自由は責任も伴う。仮に認知獲得及び新規顧客獲得を目的とするならば、発信は少し慎重になったほうがいいのかもしれない。
こんな俺でも付き合いたいって思ってくれる人しか受け付けたくない。って青臭い恋愛観みたいなノリなら、それもそれなので否定するつもりはない。僕も昔そうだったし。
全く敵を作らないのは無理だけど、わざわざ敵をこしらえるような行いは、あまりお勧めできないぞって昔僕にニュージーランドで教えてくれた師がいた。
敵だと思っても、お前の立ち振る舞い次第で味方として利用することもでき、その方が未来の可能性が広がるとも。
誰からも好かれる必要はないけれど、目的がしっかりあるなら、適宜原因は自分であると考えてみると、次のアクションが比較的明確に見えたりもしたと気付いたことを、SNSを見ては思い出すのであった。
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