大義と免罪符。

金の話。


先日、付き合いの長いパタンナー様と雑談していて、とある取引先から支払いのリスケ依頼があったらしい。この取引先も同パタンナー様と付き合いが長く、支払いのリスケは今回ばかりの話ではないとのこと。


その取引先の経営者は、僕自身も面識があり、一時期相当接触時間があったので、どういう感じの人かよく理解しているつもりだ。あくまで、つもりだが。


何度かその経営者と食事を共にしたことがあるが、日本の繊維産地を国策で保護すべき論者で、ご自身のモノづくりにおいても日本製であることを非常に大切にされている。

人が何を信じ何を大義として掲げ事業を進めていくかは、それぞれの自由なので上記の信念に対しては僕も全く否定的な感情はない。国策で云々に関しては、同意はできないが、国策で国内繊維産地が疲弊していると考えておられる方なので、そういう意見になっても仕方のないことなのだろうと、意見としては飲み込んでいる。


僕及びパタンナー様が解せないのは、そう主張するご本人自身が、支払い先への支払いを滞らせていることだ。

ない袖は振れない、これはわかるのだが、振れる袖をある状態にしておきモノづくりを循環させてこそ大義を語るるに足る舞台に上がれるのではないか。という、乱暴に言えば売れてから言え的な、そんな心持ちにさせられる。


大義そのものは、誰がどう抱いて、どう実現させていくか、それこそ自由だ。やればいい。それだけ。ただ、結局のところ、誰かしら周囲を巻き込んで大きなものにしていく必要がある中で、その大義に賛同できずとも取引関係になる人たちだっている。特に技術職の方々はタイムイズマネーをそのまま体現されている方々なので、成果物に対しての支払いが遅れるというのは、時にその日を凌ぐ銭を勘定して不安に苛まれる状態にしてしまう可能性もある。そうなれば大義もクソもない。


締め支払いの掛売りって相手先の債務履行を当然として信用している状態なので、これが守られないのはそもそも信用経済の土俵に上がれない。前金制を敷いている技術職系がいるのも、踏み倒しや遅延行為が多いからだろう。こういうの与信っていうんだけど、与信に関しては詳しくは下記リンクご参照いただければ。

で、結局のところ、持続性は経済的発展ありきだと僕は考えるので、国内産地を云々で守りたい的な大義はつまり金回りを止めてはいけないと同じ。だから同主張をされる御仁が支払い遅延とか意味わからない。

雑談していたパタンナー様自身、決してこれら大義をどうでもいいと言うタイプではないが、実入が相手先の懐事情で左右されるのは望んだカタチではない。

相当時間打ち合わせを重ねて納品まで漕ぎ着けた対価が期日に受け取れないのは、相手の思い(モノづくり)に応えるために使った時間をなかったことにされるのに近い。払われないわけではない(はずな)ので無に帰すことではないにしても、相手に対する信用はそれこそ無に帰す。

パタンナさん「なんのために生きてるんやろ」って言ってた。別の話題だったけど。相まって重く感じられた。昔は出世払いという言葉があった。今でもそれを大きな器で受け止めている太い工業様がいらっしゃることも存げているが、大義があれば金払いを遅らせてもいいという免罪符にはならない。


表面上大きな綺麗事言うのは自由だけどさ、実際にお金回せてないのとか聞こえてくると、大丈夫?メッキ剥がれるよ?って思っちゃう人、ネットにもたくさんいるから、皆様お気をつけあそばせ。金なんてどっちでもいいからその大義に心中する覚悟ってんなら、あとはそれぞれのそれぞれのお気の向くままに。

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