『だけ』では弱い。

先週から生地作りに関わる現場の人たちが来てくださって、あーだこーだと生地作り談義をした延長で、色々感じてしまった。


奈良に在わす僕にとって業界でのじいちゃんは、いわゆる技術屋で柄作りのための機械いじりは得意中の得意。現場に行けば色々と組織図交えてカムを開けて針の動きと共に糸がどうなったらどういう柄になるか教えてくれる。

そんなじいちゃんと先週話してた時にひとしきり盛り上がったあと「今は一個生地買うてもらうんにも蘊蓄がいるんやなぁ」とおっしゃった。そう、今単純に柄とかで『他にない』から売れるものって、丸編み生地においてあんまない(たまにあるけど)気がしてて、他になくても需要がなければ売れないし、柄の変化だけではなくて一緒に他と何が違うのかを説明できる蘊蓄もいる。柄が違うって一言で言えばそれで終わりのところを、その柄を作るための云々もセットで求められたりするし、求められる割に、だから付加価値として値段転嫁できるかっていうとそうでもないし、高いって思われたら代替えで似たようなもので安価なものを探して採用されたりする。これはなかなか、寂しいけど現実だったりする。


今朝も、とある加工場様と電話してて「そういえばウチの旧式機械の加工、 〇〇さんにエエんちゃうかな!?」と興奮気味にご提案いただいた。僕はその旧式機械によって生み出される風合いもストーリーもすごく良いと、個人的には思っている。けど、従来品とソレの差が明らかに違うものでない限り、ストーリーに価値を感じてもらえる市場を持ってない相手に向けて「だから良いもので、高い」は通じない。

実際には微妙な風合い差があっても、価格乖離を埋めるほど納得感があるものかどうかは、意外と作ってる本人たちも感じているところではあって、「でも普通の人には分からないよね」って冷静に受け止めていらっしゃる方々もいることはいる。少し寂しいけど、仕方のない現実ではある。


工業が生きていくには設備稼働があって得られる工賃が、固定費を上回る必要がある。当たり前だけど、依頼者および一般消費者にその辺の事情を汲んでって頼むのも筋が違う。だから前に出るために付加価値の高い提案を考える。それが柄作りだったり、旧式設備による加工だったり。専門工場なので、その一点突破になりやすい。なかなか応用もしにくい。

生地作ってた時代に、自分たちの生地こそ至高と思い込んでた時期もあったけど、生地は結局要素の一つだと気付いてから、一点突破の弱さを知った。


安価な代替え要素とは、比べれば違うとわかる程度。でも比べないとこれが良いかどうかは分からない世界。比べても正直あんまり差が分からないレベルに旧式何某のストーリーが高く売れる要素になるならば、たぶん今の日本の産業自体はそんなに苦しくなかったんじゃないかと思う。


もうそこにいない市場のスピードと、まだそこから抜け出すのに時間がかかっている現場のスピードが合っていないのは、もしかしたら僕らみたいな間の人間のせいなのかもしれないとか、最近は頭から離れない。

優しさだと思ってある程度の瑕疵を許容し、継続性を優先してきた結果、ある種の甘えを作り出した可能性は否定できない。僕に色々ご提案いただいて、僕はそういうの好きだし嬉しいし僕の先にあるマーケットに対しての選択肢には入るけど、僕の感想と市場の感想は違う。僕が熱量持って提案した先の先まで伝わると良いんだけど、結局そこまで求めてるかどうかは普段の付き合いでわかってしまうところもあって、でもモノや作り手に罪があるわけじゃないから、受け入れられないことに対する落胆や憤慨を、どうやって処理したら良いのか、そういう感じ。

ただ、今は結構エネルギー振り絞って「それだけだと弱いんですよね」ってお伝えするようにもしてて。任せとけって言えない自分の弱さを認めてしまうことになるけど。そう、たぶん甘えを作り出した原因は自分の弱さを認めたくなかったんだなとか。


ポエムを紡いでる暇なんてないんだけどね。

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