強くあるということ。
ツイッター中心に発言をしていると誤解を招きやすいものだ。140文字に総意をおさめるという技はかなり訓練が必要だと痛感している。
さて、僕は今年に入って物語以外の本を今までの人生で一番読んでいる。そして今はこの大作に挑戦している。
まだ1/5程度しか読めていないが、昨今のアパレル業界を取り巻く環境を見つめ直すために自分自身が身につけなければいけない要素が既に山盛りである。
読み途中だから何か結論を出せる段ではないし、そもそも何か結論が出せるようになる本ではないので決めつけた言い方はできないが、ぼんやりと今の考察を備忘録として記して置こうと思う。
読了し、改めて振り返った時に何かのヒントになれば。
今日この記事について「そうだそうだ!」的な流れをみて感じたのは、そもそも人権侵害をしなければ対応できなかったような価格交渉があったのではないか?という視点である。
もちろん、どの場面においても人権侵害されるべきではない。当然である。
ではなぜ人権侵害が起こるような労働環境になってしまったのだろうか?
工場経営陣が儲けたいから不当労働を強いたのかもしれない。
アパレルメーカーが直貿でない場合は中間業者の搾取があったのかもしれない。
それともアパレルメーカー自体が不当な単価交渉を強いているかもしれない。
色々なことが考えられる。
これは事実としてあった事に対して僕が抱いた主観的な感情だ。だから先述の通り今回のワコールの動きに対しては「その労働環境を人道的に保護することができるほど商品製造のコストを掛けてあげられるのか?」という少しバイアスのかかった意見が先にうまれた。
これに対して僕は普段から工業に対して持っている意見として、工場が受け身のままでは淘汰されると言っている。
この二つの意見は僕の中では矛盾していない。
支払い工賃が圧迫されてくると、工業組合などは決起集会(という大義名分の飲み会)を開催しては今後の対応を検討し、(酒の力を借りて)川下に対抗して賃上げの拳をあげる。
しかし、いざ商売が目の前に現れると指値に応じ、自ら消耗戦に持ち込む。
本末転倒だがこれが真実。
これはもしかしたら、結局は自分たちの技術に自信を持ちきれない結果なのではないかと考えている。
東京の下町にある某染色工場は、一時乱立した製造業の中で埋没し不当な消耗戦に勝機を見いだせず窮地に追い込まれた。
その時に、勇気を出して舵を切った。
技術に裏打ちされた加工力、社長自身の行動力で、一染色工場の立場から生機(染める前の生地)を自ら選び自社の特殊加工を施し生地を売りにアパレルメーカーへ出向いたのである。
染色工場であるから、この動きは周囲の生地問屋から反発をかった。
しかし同社にしかない加工を安売りしなかった結果、生地問屋からも注文は無くならず、且つアパレルメーカーからの仕事は増えて業績は回復した。これは売上が上がっただけではく、利益率が大幅に改善した。
このように自らの強みに活路を見出している工場はある。
片方で自らの技術を唯一無二へ仕上げていくストイックな強さを持ち、もう片方で市場に対応できる情報にもあかるく、自社技術を安売りしなくても顧客が離れない感度や提案ができれば強くあれるのではないか。
なにより市場動向などの外因を言い訳にして自分自身を見つめなおさなければ、やはり自然淘汰されてしまうのは当たり前のことではないか。
強くあるということ、それは己に勝つということ。
他人は変えられないが自分は変わることができる。
自分が変われば世界は変わるのではないだろうか。
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