丸編み生地製造という職業にたどり着くまで-5-
駆け出し営業マンとしては見た目も派手(バンドマンだったので)で体験に裏付けされた知識と老舗の看板を武器に生意気盛りを続けていた僕を、ガラス製丸灰皿で制止してくれた某生地問屋の社長さんとの商売が膨らみそれなりに実績を上げだしていた3年目のころ、僕はまた調子に乗ってしまう。
これはもう、病気なのかもしれない。
工業側の体制は入社時期に比べて幾分は小ロット生産に理解を示し、グダグダと文句を言いながらも仕事はしてくれるようになってきた。
その当時小ロット多品種が中心になり、自社の専務から小ロット過ぎて「こんなゴミみたいな仕事」と愛を持って?罵られた受注も、塵も積もればマウンテン。
数字は着実に伸び出していた。
当時の営業部長から、戦略的に新規開拓を任されるようになり、従来のルート営業から派生した紹介からの新規や飛込み営業を掛けるようになる。
既存のルート営業はいわゆる中間業者がほとんどで、専門商社、生地問屋、縫製メーカーが中心だった。ここを攻めても牌の食い合いになるので、川下のアパレルメーカーを中心に仕掛けるようにした。
工業ベースで生産の角度から考えると当時はまだ大手百貨店系を攻めるのが主流だった。
そんな中でも、DC系と何軒か口座を持てるようになり、お取り組みさせてもらえる事になった。
DC系は年2回のコレクションが中心で、その時期に向けてかなり早い段階から生地のピックアップ作業に入る。
某有名女性デザイナー先生もご来社され、一緒に生地の山の中を宝探しのごとく捜索しながら、「私これにしたわ!」と僕の服の裾を掴んで嬉々とされている一面などもあったりなかったり、それなりに生地を作る側としては楽しみながら生産させてもらっていた。
あるシーズンのサンプル時期に、某Y出身のデザイナーさんが運営されているブランドの生地を担当させてもらえることになり、サンプル生産作業に入った。
ビーカー作業の時、指示色で出された黒と染工場が提出してきたビーカーの黒の色味が違っていた。
黒がテーマカラーである某Y出身であるデザイナー氏がそのブレを許容する筈がない。
いわゆるフォーマルブラックが欲しいのだ。
↑フォーマルブラック↓実はブラック
実は黒の色味というのは、一概に黒と言えども染工場によってそれは様々なのだ。
付き合っている染料メーカーや独自の配合があるのでコメントだけで黒と指示すると大抵の場合はその染工場の黒で染めてくる。
そして、フォーマルブラックの色チップを付けて依頼しても、きちんと話を通さないと勝手に染工場の黒を提出してくる。ザ・莫大小な仕事である。(誤解がないように言っておくと、このブラックフォーマルは加工賃も高くなるため、生地の単価が上がるのを許容してくれることを前提で依頼するとブラックフォーマルに染めてくれるが、通常工賃で依頼すると染工場さんも損をしてしまうので受注できない)
僕はそのビーカーが、確かに指示色とブレているのを把握していたが、百戦錬磨の戦績が駆け出し当時の丸灰皿事件を忘れさせていたため、またもや謎の強気行動に出てしまう。
「社長ね、こんなん黒は黒でしょ⁉︎」
その発言の後、デザイナー氏の激震に触れ人目を憚らずに怒りを露わにした。
「バカヤロウ!俺の服を待ってくれてる人達はな、こんなの黒だって認めねぇんだよ!」
ハッとした。
当たり前のことだけど、この人は工業のために生産してるんじゃない。
自分たちの顧客さんのために命かけて服を作ってるんだ。
一旦下がり帰社途中、怒りのやりとりの30分後にそのデザイナー氏から電話がかかってきて「お前が工場守りたい気持ちはよくわかるよ、あの人達が生産してくれなかったら俺らもモノは作れないからな。だけどさ、違うものを違うって言ってるんだ、わかるよな?お前あれ見て同じって言えるか?違うだろ?お前もプロなら間違いを認める強さを持てないとこの先成長できないぞ。」と、優しく諭してくれた。
僕はなんで、当たり前のことが当たり前にできなくなってしまったんだろう。違う物は違うのである。その意図とは違うものを正規の値段で売りつけようとしていたなんて詐欺行為ではないか。
この後、黒の色は改善させ、その後デザイナー氏は前職を離職するまで一貫して僕を担当に指定してくれ沢山のオリジナル生地を作った。本当にありがたい人である。
僕には業界の父が沢山いる。
良き兄貴たちも沢山いる。
人に恵まれたしあわせな男だ。感謝しかない。
こうして工業と様々なトラブルを乗り越えて、次第に工場の人も信頼をしてくれるようになり、安定してモノづくりを通してお客さんの満足を満たしていくはずだったのだが。。。
つづく
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