原価。

ずいぶん前に、宇宙行くとか行かないとかで有名な人が服の原価の話してた時はまだ、燃え盛る繊維業界愛で怒りに震えた時期もあった。

どういう流れかわかんないけど、先週はちょっと原価に絡む話をちらほら見かけて、まぁそういうのって議論したいところになるよねって思いながら、たまたま異業種の方々と食事する機会があって、そこで服作ってるって言ったら「服って人が作ってるんですか?」っておっしゃる方もいらっしゃって、全くそこに悪意はなく、純然たる疑問として人が作っている事実に少し驚かれたようで、いかに僕らが業界内の常識を世間一般にさも当然のように受け入れられていなければいけないと思い込んでいるのかを知ることになった。


服に限らず、世の中値段がついているものには原価が存在する。それは有形かもしれないし無形かもしれない。

よく原価論で話題になる原材料費だって、追っていけば土から始まる農産物だったり水だったり空気だったり、それらに人が知恵を絞って形を変えたものに最初の値段がつく。そう考えれば、全ては人が働いてくれたことに価値がついていると言っても過言ではないのではないか、というのが僕の持論。

で、あるからして、僕の中では、原価で物の価値をさしてくる人はすでに理論が破綻している。『原価が〇〇だから、売価はこれくらいであるべきだ』みたいなのは「ではあなたが日々仕事として行っている全ての作業は売価に対してこれくらいの価格要素分しか寄与していないので、もっと低くあるべきだ」も成立してしまう。だってデスクに向かって仕事のために仕事増やすような仕事してる人いるでしょう、そういうのも全部コスト参入されちゃうんだから、フィジカル使って物理的に物動かしてる人たちのお給金削るような言い方しちゃダメなんだよ。物が売れる仕組みも物が出来上がる仕組みも人がやってんの。

ほんとお互い様なんだから。


昔、生地だけ売ってた時は、糸買って、そこに糸ロスと自社編み工場の工賃乗っけた生機単価に、外注した染色工賃乗っけて、かかったコストに15-20%くらい手数料乗っけて売価にしてたけど、この構造から仕入って見た目上は糸代と外注染色工賃だけで、編み工賃って自社工場の運営コストの割返し平均だし、手数料としてのせてる粗利だって、自分の給与及び会社全体の運営費を捻出しさらに反映させるためのものだから、そう考えると15-20%しか粗利取ってないってのは単価低い世界ではちょっとその構造やばくない?ってなるのは普通の概念。

しかもこの中でも純然たる物品購入仕入に見える糸代だって、原材料に紡績工賃乗っけてそこに商社マージンのっかてるんだから、もうじゃあ原価ってなんだよって話になるんだよな。極論かもしれんけど。


一方でさ、なんでもないTシャツだって、やるやつがやりゃ1万でも喜んで買う人がいる。これを安く作れたものでも高く売れる的な言い方しちゃうとまた「奴らはぼったくり」みたいなのも出てきちゃう。

そうじゃなくて、価値を認めてくれる市場を開拓していると思えば、それは然るべき努力と諦めない才能を認めざるをえないんじゃないかなと思う。


内輪で主張されている日本製の技術だから守られるべきとか、高いのは当たり前とか、すごく賛同できる一方で、冷静に異業種の方々から見て、だから何だ?って意見も当然のようにある。それはさっきも書いた通り、そこに悪意ってない。無くなっても問題ないとかそういうつもりで言ってるわけじゃない。知らなくてびっくりしたけど、そんな状況ならもっとやり方あるんじゃね?的なニュアンスに近い。


危機を煽るだけの物言いに対して、熱くなってできない理由並べてるだけより、それぞれに前向いて解決できる具体的な行動にエネルギー使ったほうが、原価気にするよりはマシかなって思ったかもしれない月曜日。今週も張り切って参りましょう。

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