無いもんは無い。

作れば余るし、減らせば足りない。需給バランスというのはいつだって難しいものだ。


コロナ禍に見舞われる以前から、在庫商売自体は総じて縮小傾向にあった原材料の世界。僕が繊維戦士になった頃はそれはそれは糸なんかしゃべったもんがちで、規模の経済でコスト圧縮から他所より潤沢にかつ安価で供給できるのが勝ち筋であったのはもういつの頃だったか記憶が薄れるほど遠い昔になってしまったというくらい、自分も歳をとったものである。


当時の『無いもんは無い』に関しては、「ウチに無いものなんて世の中に存在しない」くらい勝気な様相だったが、今の『無いもんは無い』はもうそのまんま「無いのだから仕方がない」的などことなく寂しい空気の漂う言葉になった。


需要予測の立たない原材料をリスク背負って在庫するのは、ある意味で博打であり、今思えば、当時はなんであんなに売れる自信を持って様々な糸をバッチバチに喋り倒していたものだと、その度胸たるや感心してしまう。世相というやつか。


2011年、綿花相場が暴騰し、ポンドあたり200セントを超えた。当時はドル円が80円/ドル台だったこともあり、最近の急激な円安と合わせて到来した綿花高騰で円建て玉の暴騰と在庫薄ほどではなかったが、それでも当時は高玉を掴まないよう、先付けを取り合った結果、現物が無い状況もあった。

綿糸に限らず、オーストラリアの干ばつが報じられたらウールがないとか、まあとにかく、色々な原材料は様々な世界情勢から入手困難なタイミングというのは、割としょっちゅう起こるものだと、そういうもんなんだと、前職時代には学べたことはとても大きかった。


当時はしゃべって(契約を付けて)あっても、引き取りが遅ければ実需側へ玉が流れてしまうなんて事故もあったくらいだ。これは契約違反なので取り締まられるべき事象だが、まぁ、あった。付けといて在庫動かさず金も払わないのが長期化したら、そらそうなるわなって気持ちもわからんでもない。ダメだけど。


そんなこんなで世間的には「そんなもんいつだってあるだろう」と思われているような定番原料でさえ、時代が変われば状況も変わる。まさか無くなるなんて思ってなかったものが、発注してみたら無かったなんてことも、最近では珍しく無くなった。


物がなければ作れないのは至極当然で、発注が出て原材料がなければ「なんでないんですか!!!」なんてよく言われたもんだ。原料供給側からしてみれば、なんて理不尽な言われようだと思ったが、サンプルを作って量産受注をもらうのに、実需がない可能性があるものを先に発注して原材料を確保しておくなんてのは、よっぽど資本体力があるところ以外ではちょっとイメージしにくい現象かもしれない。


それでも見本をやったんだから、量産があるもんだろうというのが依頼者側の主張だとしたら、それもわからんでもない。感情的になるのはどうかと思うが、使ったんだからやるだろ普通って思うのはそれもそうなんだよなって流れになる。でも発注書見てない物を先んじて買っておくなんてのは結構勇気(上長を説得する)がいるもんで、社内稟議通すのが億劫すぎて、糸一発で1,600万超えの発注を相談なしにぶち込んだ日には、速攻で当時の社長から「この金誰が払うねん!!!」と死ぬほど怒られたのはいつの日だったか、自分も歳をとっt

自称天才改め、アホである。(遠い目


とは言え、無ければ売るもん作れないのだから、結果的には物がある状態にしておいたおかげで、無かったはずの売り上げが立ったので、需給バランスというのは本当にわからないもんだ。今だったら絶対やらん、お金足りなくなるから。だから当時の社長の逆鱗に触れたのはものすごく理解できるし、そんなアホな社員いらん。


ただ、当時の糸商(関西繊維猛者)に言わせれば「無いもん売られへんし、無いもん無い言うて怒られるよりは、ええんちゃうか。無いときに無いて言われたかて、契約付けてへん方が悪いとしかこっちは言えへんから」とのことなので、勇気を持ってチャレンジしたやつだけが見たことない景色を見れるんだ!と、当時の自分のアホ博打を正当化するには充分すぎる裏付けになった(ダメ


だから、在庫がある状態ってのは、誰かがどっかでなんかしらのリスクを背負ってくれているので、感謝しながら商いをしていきたいと改めて思った師走の中頃。

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