〜だと思って。

自発的に考えて行動する。とは、とても難しいことだ。


相手があって自分が立つ、仕事では自分だけよければ全てOKという場面はほとんどない。依頼者(または指示)があって、意図をしっかりと共有した上で、作業して制作を進めていく。この時、意図を汲みかねて(~だと思って)逸れたまま進んでしまうと、最後にはとんでもない結果になってしまうということもある。


組織で案件をこなすとき、この意図をしっかり共有する、または途中で齟齬がないか確認をしていくのは、案件を握っている依頼者であり、完成形に対する全責任は本来依頼者に帰属する。

しかし、曖昧な領域を詰めきれない人もいる。

依頼者の頭の中を全て把握できるくらいシンクロするような間柄の人はそんなにいない。でも、側で支える人の中には、依頼者からそこまで求められる人はいるだろう。


僕も前職時代の上司は、会話に主語がないことが多かった。大口の得意先の社長様も、主語がなかった人が多かった。彼らに共通するところは、主語が出ていない会話でも、話の内容が合致する人がいるとその相手を認める傾向があった。

「俺の欲しいところにパスを出せ、ゴールはわかるな?」といった具合に、そこに実態(説明)がなくても走り込むであろうスペースを見つけ出しゴールに向けてシュートを蹴りやすいところへパスを出せるやつは、絶対的な信頼を得ることができていた。


みなまで言わすなと、大体わかるだろ、と。

これに対し、目を合わせれば(これだな)と察しがつくようなヤツは相当デキると思われていた。そしてそういうヤツはだいたい、結果も伴っていた。


これが成功事例になると、理解が及ばなかった時の質問する行為自体のハードルが上がる。聞くだけで相手の機嫌を損ねてしまうかもしれないという恐怖は、想像以上に大きく、わかったつもりを装うようになってしまう。

わかったつもりで先読みして良かれと思って積み上げた作業が、実は全く意図を汲み取れていなかった時の徒労感はすごい。


これは指示側のマネジメントにも問題がある。相手の力量を見定めることができずに実力以上のものを求めた結果だったりもするので、できなかったことを相手の責任にして終わりでは自分のマネジメント能力の無さを周囲に見せつけることになる。

きちんと自分の責任を認めるのも大事だろう。


成長を望むか望まないかは、人それぞれだし強要できるものじゃない。

ただパフォーマンスを金額換算せざるを得ない場合、やはり1から10まできっちり指示して、わからなければ都度聞いて、それでも同じ質問を繰り返してしまう人に対しては、他でよっぽど秀でた貢献がチームにない限り、評価を上げる理由がない。

自分で「頑張ってるのに認められない」は、おそらくよっぽどブラックな環境でない限り、頑張りの方向がズレている可能性が高い。

マネジメントも実務者も、他人の責任にしている間は成長はない。


自発的に行動した結果が、きちんとチームの目的達成に寄与するかどうかは、普段からコミュニケーションが取れていないと難しいと僕は思う。

相当会話を重ねて、なんでも聞ける空気を作っていくことで質問するハードルを下げていく。この段階を飛ばして(自分はできる)とタカを括ってると一方的に「〜だと思って」だいたい事故るよ。

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