8月。

今月は、まだ終わってないけど、東京と佐渡の半分こずつの生活だった。

盆休みも含めて、2週間ほど佐渡に滞在した。その間SADOBASEで仕事をした。


自分の中で大義があって、それに呼応してくれた仲間と共にこの事業を走らせてまだ10ヶ月足らずだが、おかげさまで11月末までの縫製現場の仕事は埋まっている。なんてありがたい、とても良好なスタートと言えるだろう。

綿花作りから一気通貫という旗印のもと、今春から荒地を開墾して綿花畑にもチャレンジしているわけだが、日照りと降雨のバランスも手伝って、ちゃんと花が咲き、実がなっていた。

とてもゆっくりではあるが、この辺の進捗と佐渡の様子を紹介したりなど、SADOBASEのインスタで上げているのでよかったらどうぞ。

佐渡の紹介などできるほど、僕自身は全佐渡に詳しいわけではないので、佐渡で事業やるってことは佐渡ことさぞ詳しいと思われる方も多いかもしれないが、このインスタ運営も含めて、佐渡情報はほとんどスタッフの皆様からいただいておる僕です。ポンコツです。



さて、大都会と離島超絶田舎の両極端を旅行で楽しむ目線ではなく、両方で仕事をしてみるという体験は、そういう覚悟があっただろと言われればそれまでだけど、すごくなんというか、不思議な時間だった。そしてこれをどうやってイメージした未来に繋げて行くかという点で、容易ではないよなと改めて思い知らされた。


「お前自身が決めて好きでやってることだろ」とお叱りを受けそうだし、僕自身、自分で選んだ道なので言い訳なんてしたくないが、今回生まれた感情は良いものも悪いものも含めて今後の課題解決においても必要な部分かと思うので、備忘録もかねて敢えて記しておこうと思ったわけで。

なので、読んでくださる皆様におかれましては「ほらみろwwwざまぁwww」の気持ちを表に出さず、ぜひ心の中で留め置いていただいて、disられると死ぬのでおなしゃす。絶対言うなよ。


休み明けに僕と会った方々は、夏を完全満喫したような僕の風貌にさぞ佐渡での生活が充実していたように見えたことであろう。もちろん、ある意味充実はしていた。

今年は人生で初めて、工場を運営する人として地元で2週間(盆休み含む)を過ごしたが、実質休む暇はほとんどなかった。いや、休めばよかったんだろうし、休むかどうか決めるのは自分自身なんだけど、詰まってる仕事を目の前にすると、スケジュール的にはいけそうかも知んないけど、新たに仕事受けて欲しいという要望がある以上、早めにやっつけないとなっていう気持ちになるもんで、ほぼずっと現場に入ってた。

通常営業日程の期間、スタッフの皆様は完全にラインに手一杯の状態が続いていて、クラファンリターンの佐渡杉廃材のハンガーは裁断が終わったところで手付かずだったので、平日昼間は外で掘削から研磨、仕上げまでを、途中縫製のロック始末や閂工程や中間アイロン工程に参加しながら、4日くらいかけて完成させた。そのおかげでこんがり小麦色になった。

スタッフがいない休日も現場でできるところを進めたり、サンプル進めたりと、(なるほどこれが盆休み中にやっといての実態か)的な、結局終日休んだなって実感があったのは13,14日の土日だけだった。休んでない俺カッケーアピールではない。勝手に休まなかった自分の問題だ。誰も悪くない。ただあったことをその時の気持ちと合わせて書いているだけだ。


畑もなるべく毎朝5時くらいに行って、抜いても増える雑草に諦めながら踏み潰したり、水やりの加減をみたり、特に大したことはしてないけど、田舎ではそれくらい朝早く起きてしまう。畑にゆっくり行ってきても日中十分時間がある。7時には工場でアイロンのスイッチを入れる。夜も早い、大体21:30には寝てた。


量産時期なので、一つの工程を預かるとそれなりの時間同じ作業を続ける事になる。一枚目はサンプルを元に手探り、二枚目は効率を考え出し、と、枚数を追うごとにスピードが上がっていく量産の仕組みを体験しつつ、なかなか減らない裁断物の山を見ては心が折れかけ、頭の中を流れるのは昔笑う犬でホリケンと泰造がやってたテリーアンドドリーの「生きてるってなんだろう?生きてるってなぁに?」の無限ループだった。

手が慣れた頃には工程が終わり、次の新たな『不慣れな』工程に入っていく。上がった効率がまた下がる。なるほど、少量の量産とはこういうことがあるのかなど、頭では理解していたことを実際に現場で向き合うと色々な感情が湧き上がった。


「ファッションや洋服に興味がなくても縫製作業を仕事に選ぶ人がいるんだよ」これは僕がSADOBASE事業を始める前に、縫製工場運営されている先輩経営者から言われた一言だ。わかってる。志を共にできなくても、仕事としてその職業を選択する人だっている。できれば最初からそういう人を選ばないのが正解でも、人海戦術が必要な現場では時に個人の思想が相容れなくても頭数を揃える必要があると、建設業を営む友達も言っていた。


生きてるってなんだろう。生きてるってなぁに。


ふと瞬間的に、きっと今、納期に追われているスタッフのみんなは、僕が掲げた明るく眩しい大義から程遠い手元の作業に従事して、もしかして嫌気がさしていないか?など、皆には大変失礼かもしれないが、それぞれの覚悟を一方的に疑ってしまった。

やりだした僕本人でさえ先が見えなくなりかけるくらいだ。言い表せぬ感情でモヤってしまった僕に対して、笑顔で「楽しいっすよ!」と元気に言ってくれたスタッフに心底救われた。

そうだ、彼らは文句など一言も言わず、目の前の仕事を楽しんでくれている。

そこから頭の中をループする音がミスチルの彩りに変わった。


思い返せば丸編み工場員時代、物理的にかかる納期以上の理不尽を押し付けてくる不躾な輩に対する敵意剥き出しだった感情が、自分の捉え方一つ変えることで相手が変わっていく(いいお客様とめぐり会えるようになっていく)様で、仕事を楽しめるようになっていったようなあの時の感覚に近い、そういうの、僕自身ここ最近はすっかり忘れかけていた。


「11月まで仕事で埋まるなんてありがたいですよ!」裁断してるスタッフが言った。

そうだ。

僕らには、はっきりとやりたいことがある。そのやりたいことのために必要な時間と資金は、やりたいことをやっているだけでは今の所賄えない。一件でも多くのお仕事を完遂させることで、お客様のお役に立ててはじめて、自分たちに自由な領域が生まれる。


いやほんと、ありがたい。負の感情が生まれたこと、そういう側面もあること、それをしっかりと認めること、捉え方は自分次第だってこと、雑にまとめると色々学びがあった。


まだまだ改善しなければいけないポイントだらけだし、運営素人の僕自身の甘さを正して行かなければいけないことまみれだけど、焦らずやって行こうや、と、二週間前の自分に言ってやりたい。とりとめもない話になってしまったが、そんな8月だった。(まだ終わってない)

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