演色性。
色あわせというのはいつだって難しい。
同じ原料、同じ染め方であれば、理論上は色はいつだって同じになっていて欲しいものである。
細かな理由としてはまとめてあるので上記リンクをご参照いただくとして、よく起こるのは、同一繊維品質表示の異素材(例えば綿100%同士でも組織が違うもの)を、一緒に染めた(同じ染色釜で染めた)はずなのに、見た目で色が違うように見える現象である。
同一混率で異素材同浴でも、自然光下と蛍光灯下など光源条件が違うと色差があるようにみえる時がある。これが演色性。 pic.twitter.com/JeNFwXFQiS
— ヤマモト ハルクニ (@HARUKUNI_Y) January 31, 2022
「一見色でおなしゃす」とは、染色依頼を受ける際によく言われる一言である。どういう意味かというと、例えばパッと見はグレーに見えるけど、よく見ると白黒混在していているようなやつ、いわゆるグレー杢と呼ばれるスウェット素材などによくあるタイプの霜降りグレーは、一見グレーなんだけど実は色の要素として白い原料と黒い原料をブレンドしているので、厳密にいえばベタ塗りグレーではない。こういった、色の要素が一個ではないものをパッと見で見えている色に合わせてねってのが、「一見色でおなしゃす」の翻訳である。
一見色は、共通認識のように思える。しかし、人の目には誤差があるのと同時に、光源(光の条件)も異なる。色見本を手渡しされた時の部屋の光条件と、染め屋さんの手元に届いた時の光条件は異なる。というか、光源の条件はいつでもどこでも同じということはない。
なので依頼色に対しての染色物が完全一致して見えるかどうかは、結局のところ、いい加減な言い方をしてしまえば、その時次第ということになる。これは如何ともし難い。
染色条件をいつも同じにすることの難しさは、このブログを通して何度も伝えているところではあるが、仮に染色条件が揃ったとしても、光の問題まで踏み込むとなると、地球レベルでどうにかせんといかん話になるのでスケールは壮大だ。
海外でものづくりをされている方は特に色ブレに対する危機感をお持ちのことと思われるが、もう元も子もない話をすると、空気中の要素によって地上に降り立つ光の波長レベルは異なってくるので、現地では色があっているように見えても、日本では違って見えることは、この考え方が備わると普通にあり得る話となる。
どこでどう見ても違う色調でやっつけられているような適当な業者の場合を除いて、誰だって違うものを作ってやろうなんて悪意を最初から込めてものづくりしている人は、そんないないと思う。と、思いたい。だってロスしかないもん。
さておき、これらの依頼色から光の条件によって色差が出てしまっているように見える『演色性』は、生地が織りなす組織によっても影響する。
フラットな生地と、凹凸のある生地を、同一混用率で同浴(一緒に染めた)した場合、理論上は同じ色になるはずである。さっき言ったか。忘れた。
しかし、降り注ぐ光の条件がいつだって変わるように、跳ね返す光の条件も変わる。
色というのは、光が対象物に当たって跳ね返り、それが見えたものに対して充てがわれる概念なので、物自体が色の要素を持っていても、光がきちんとそれを跳ね返して目に届けてくれなければ「色が違う」と判定されるものである。世の中は不思議がいっぱいだ。
したがって、同じ色に染まっていても、生地の表面感で色が違って見えることは普通にある。もう、息をするレベルで普通にある。違って見えるのだから違うのだろうと決定づけるには、この演色性をしっかりと理解して、確認した上できちんと「違った」場合にのみ、違うと言い張って良いかと考える。
演色性カードと呼ばれる、光源の適性をみるものが市販されているので、そちらを参考にしながら色のブレを指摘するのが良い。
誰だってダメなものを作ってやろうなんて悪意がある人はいないはずだ。よっぽど相手に対して嫌悪感を持っていない限り(または相当に適当な業者ではない限り)、わざわざ下手くそなものづくりをして看板の質を下げるようなことはしない。・・・はずだ。
演色性に限らず、使用原料ロットの差など、色をつける側の人たちは気にする要素が非常に多い。色ブレ頻度を最小限に抑えてくれている方々には感謝の気持ちで接していきたいものだ。
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