想像力。

ものごとは意外とシンプルである。

場合によっては世の中が便利になればなるほど、シンプルであるものが複雑化され、かえって不便に感じることも増えるような気がしている。


先日のブラックフライデーなる、消費者にとって非常にありがたいようなお祭りは、配送のトラブルという不都合をうみ、生活必需品をその配送に頼っていた層には、一定数の多大な迷惑をもたらしたところもある。


いきなり脱線したが、少し、いやだいぶ前から、生地提案でも採用後に発覚するトラブル(?)のたびに「そんな生地最初から提案しないでよ怒」みたいな話は、よく起こる。


例として、今日出会ったおもしろ案件が

これ。


単糸とは、繊維を撚ったただけでできた一本の糸である。これはつまり、チカラのかかり方が一方方向であるため、物理的に反対に戻ろうとする性質がある糸だ。

さらに、『強撚』とは読んで字の如く、強く撚られているので、力強く戻ろうとするものである。

これが単糸強撚使いの天竺をアップにした写真だ。ご覧の通り、写真でもすでにタテ目がヨコ目に対して垂直ではなく斜めに入っている。これは「糸の撚りが一方方向にかかっているよ!」という生地からの自己主張に他ならない。つまり生地のアイデンティティだ。


強撚は、そのサラッとした独特の風合いから、愛好家から好まれている糸の作り方なのだが、一方で、繊維とは水洗いなどを繰り返していくと本来あるべき姿に戻ろうとする性質から脇線や前立てなどが斜めになってしまう『斜行』という問題も同時に孕んでいる。


昨今の洋服企画は、店頭などからサンプリングされ、未着用のまま生地の捜索などもよくあることから、服の企画者がその生地特性を理解しないまま生地収集されることも多い。これ自体は以前から書いている通り、もう仕方ない。そういう時代と割り切っている。

ただ、生地屋さん、「こういう生地を集めて欲しい」と頼まれた時、起こり得るトラブルが想像できれば、冒頭のような「そんな生地初めから提案しないでよ怒」は避けられたのではないだろうか。


まして、生地特性を熟知して、そのトラブル(?)さえも風合いとしてデザインに組み込んで通年愛好しているデザイナー様方にとって「単糸強撚天竺は斜行するから廃盤にしました」なんて生地屋さんから言われたら、それ相当の絶望感があるのではないかと察する。



それ、知らなかったんすか・・・?的な。



OEM界隈でも、前職看板の威勢だけあって案件に事欠かなかった、ザルに受けて来た球打ってたらなんとかなってたような御仁たちも、最近はご自身の不勉強を反省している節が見受けられる。それは、非繊維界隈からの新規参入にチャンスとばかり群がった弊害で、(そりゃそうなるよ・・・)というトラブル(?)が頻発していることから、いよいよ改めて、繊維製造の啓蒙をしていかなければならないと、勝手に思い込んでいるところである。


なんというか、相談ベースで、いやそれもっと最初にわかったでしょ的な案件が多い。嘆いても仕方ないから、しっかりとご説明させていただくのだが、割とどれも後の祭感がすごい。

強く叩いたら、痛いでしょ?それと同じなんだけど。。。みたいな。


完全無欠な物なんてない。物理的にも想像ができそうな、そういうものが多い中で、改めて当たり前なんてないのを思い知らされる。

別に知らないのは悪いことじゃない。ただ、知らないけどなんとかなるやろでは、なんとかならんかった時に、損を被るのは果たして生地を作った業者なのか、はたまた強撚糸を作った糸屋さんなのか、川上にその問題をヘッジしようとしたところで「そらそうやろ(´・_・`)」となるのは目に見えているので、やっぱり学びは大事だなって思ったんだけど、なんの話だったっけ?

ulcloworks

ultimate/究極の clothing/衣服を works/創造する ulcloworks

0コメント

  • 1000 / 1000