いいものってなんだろう。

日本製でいいものづくりっていう言葉はよく聞く。そしてそれがいいものなんだろうなってイメージもすごくわかる。

一昔前(といっていいのか)に、日本製であることがブランディング化されたなんかそういったのがあった。今もあるか。彼らの持つ技術の中には、確かに、「は!?そこ!?すげぇ!!!」みたいなのはめっちゃある。そして個人的にそういったところは控えめに言って、大好物だ。


先日、インターネットを通して弊社を調べあげ、飛び込み営業くださった紡績メーカー様がいらっしゃった。なんというか、前職でも大変お世話になっており、なんというか、ヤーンフェアとかでも商品説明していただいた(お名刺は持っていくのを忘れ渡しておらず大変失礼しました)ので、同社のことは存じ上げておるどころか、糸種のバリエーションもある程度承知していた。

また、別日に、直接面識はないものの、原材料を預かりに工場まで伺ったことのある紡績工場の方の営業もいただいた。

それぞれに、ご自身の強みをご理解された上で、なぜそれが他社のモノと違うのか?と言う点を強く、強くご説明くださった。熱意のこもった紡績マンたちの熱いプレゼンテーションに対して、繊維に割とどっぷり浸かってしまっている僕は、もう、東京フレンドパーク2の最後のダーツよりもたくさん刺さりまくった。


しかし東京フレンドパーク2のダーツはあんまり特等のパジェロが当たらない。ダーツが的に当たったとしても、参加賞的なタワシが多い。


いやタワシはいいものだ。タワシを作るために日夜製品の完成度を高めんとするメーカー様方の努力とは、一般凡人の僕からは想像に絶する。

しかし、ダーツの参加者が欲しいのはパジェロだったり、任意の景品だ。的の上にこそあれど、欲しいのはタワシではない。


プレイヤーが、各ゲームに対して肉体なり頭脳なりを駆使して集めた金貨を、欲しいものが当たるかどうかはわからない博打的要素満載のダーツの矢に換金し、回転する読めない的を目掛け、不確かな腕を振るうのだから人間の心理とは面白い。


話とは脱線するためにある。


弊社は中間業者である。彼らのような紡績マンたちが「これが俺たちの生き様」とばかりにぶつけてくださるその商品開発に対する思い、またそれが形になった原糸またはテキスタイルに、敬意を持って接するためには、彼らが見えてない『的』を見やすくしたり、投げやすいダーツに変えたり、または投げ方をこうした方がよく当たるよなどと、一緒に考えたり、そうやってニーズのあるところへ適宜ダーツの矢を刺しにいくべく、商いの道筋をたてて差し上げることこそ、僕らの仕事ではないか。


言い方はアレだけど、やっぱ現場から上がってくるものづくりのキーポイントは難解なものが多い。それは、『良い』のだけれど、わかりにくい。いや、本当に素晴らしいのだけれど、伝わりにくいポイントが多い。


その伝わりにくいポイントを、いかに伝わりやすく編集してお伝えしていくか。職人様方の努力の積み上げを、御涙頂戴のストーリーで重く仕上げるのではなく、モノが与えてくれる喜びや素晴らしい経験をどのようにイメージしていただくか、そんなことを改めてちゃんとやらないともったいないなと思った月末週の月曜。

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