繊維業界が好き。
僕は何を隠そう、繊維業界が好きだ。ファッションも好きだけど、ファッションとか好きって言うと、「どこそこのブランドどう思う?」とか「その服どこの?」とか「好きなブランドは?」とか質問されてもよくわからんし、わからんって言うと「それでファッション好きなの?」的な空気になるからファッションのことは、よくわからん。けど、繊維業界は好き。
なんせ、実家が繊維だし。
とはいえ、まさか生業にして独立までするとは思ってなかった。これはこれで成り行きもあるが、独立した理由はちゃんとあるので、それはまた別の時に改めて書いていこうと思うっていうか、書いたことあるかもしれん。
昔、何かのテレビコマーシャルで「好きなことを仕事にした、言い訳できなくなった」って感じのことを言ってるのがあって、息苦しいこと言うなぁと思う反面、それもそうだなって思うところもあって、『好きを仕事にする』ということを少し考えてみた。
この業界、まぁどの業界もそうなんだろうけど、ネガティブな部分を洗い出せばキリがないし、その闇は、そこそこ悲惨な状態だとは思う。
色々な人と一緒に生産現場に行っては、そのそこそこ悲惨な状態を見せてきたし、現場を「救いたい」と言う人には本当の末端を見せた上で、それでも救いたいと思えるか?を問うてきた。多くの人が無責任に掲げる救済論にうんざりしてたのもある。
末端の悲惨な状態は、誤解を恐れずに言えば、当事者の自己責任でもある。もちろん、様々な事情があるだろうから、バサッと簡単に切り捨てるのは違うんだけど、ほとんどの場合、当事者が諦めている。それを救うというのはお節介というか、本人にその気がないから無理だ。
でも僕らはどうだろう。自ら望んでこの業界にきたのではないか。理不尽な要求や、無知で無茶な指示系統に嫌気が差すことがあっても、それはもはや今に始まったことじゃない。それを嘆いたところで、誰が解決してくれるというのだ。
嫌な案件があっても、手をつけなければ事態は悪化するし、人任せにしたところで、嫌なことを率先して解決してくれる周りの人がどれだけいるだろうか。むしろそんなことばかりしていたら、周囲には負のエネルギーに満ちた人たちばかりになってしまうのではないか。
愚痴りたくなる日はある。しんどい時の方が多い。
それでも、どんなブランドに使われるか全く意識していない糸屋のおっちゃん達や、編み工場の人たち、染め工場、縫い場のみんなが、自分を軸にして一生懸命作ってくれた服が納品されて、街でそれを着ている人を見た時に全て報われる気が、僕はするんだ。
作り上げていく一連の流れに自分の存在があって、みんなで作り上げた服を誰かが着てくれて喜んでいる。そういうことが毎日起こってるこの繊維業界が好きだ。
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