未来の希望たちに伝えるべき事。

ちょっとした場面に遭遇して、図らずも小耳に挟み、どうしても納得がいかなかった言葉があったので少しまとめておく。

産地の工業に対して『工芸』という言葉で表現された事。しかも教育の現場に立つ人から。僕はすぐにその場を離席したので、その方にどういった意図があったかは汲み取れずなので、良いも悪いも判断はできないが、その単語で地域の産業をまとめた事は、少なからずそのような意識で工業を見ているという事だと僕は判断した。(あくまで僕の見解として)


先週書いたブログの中で、工業が環境要因で現状を嘆いているとは言ったものの、彼らとて、生活の基盤をその工業に置いている以上は、伝統保護されるような『工芸』ではない。あくまでも生産工業だ。

それを『工芸』として学生に紹介する事は、きちんとした生産性を理解した上で正確にその性質を伝える事ができれば問題ないが、技術の可能性だけに注目した『芸術性』のみにスポットを当てたような指導内容にだけはしてもらいたくない。それは結局、産地を盛り上げることにならない。


産地工業はハンドクラフトのような意匠性の高い技術もある事は事実だが、工業は基本的に量産体制を取っているため、一点に数日かかるような商品を沢山作成することは難しい。たまにだから出来る芸当である。

もちろんそういう『工芸』めいた商品を主にしていこうという気のある工場や既に伝統的な手法で量産体制にできない産業なら問題ないが、基本的には工業は量産できて儲かる仕組みなので、一点物を主とする場合は、かなり非現実的な高単価になってしまう。仮にもそういう市場が常にあるなら全く問題ないが、今の所、それだけで食えるほど安定的な市場があるとは思えない。というか、そのような技術モリモリのテキスタイルだけで発信すべき市場を、一般的な市場にさえリーチできないような工業の人間は知らない。

しかも学校教育で、意匠性の高いテキスタイルデザインばかりを工業と共に作り上げていくと、工業側は「それが良い物」だと妄信的に思い込んでしまう危険性も孕んでいる。

ましてテキスタイルとなればあくまで『素材』なので、それ単体で意匠性が強すぎる物が常に需要がある物になるかどうかは、テキスタイルが主体でブランディングされた各国のテキスタイルブランドの例を見れば、意外と汎用性が高い物に仕上がっていることに気づく。


とっても時間がかかる美味しいおかずも良いけど、白いご飯も食べたいし、むしろ、おかずで白いご飯を食べたいのだ。


僕は服飾専門学校に入って学んだ事と言えば、ほとんどが洋裁技術だ。テキスタイルの勉強なんて全くなかったし、産地見学などもなかった。だからそのような環境にある学生の皆さんはとても恵まれていると思う。だから今、そのような環境を作れる学校側も、産業をよく理解して、産地と向き合って欲しい。それが社会に出てから必要になる知識なのではないのだろうか。

そして現場見学などを通して、学生皆さんの製作に協力してくれる工場の皆さんは、将来、学生の皆さんが産業を盛り上げてくれることを少なからず期待している。これは、意匠性の高い技術継承ばかりではなく、商売として市場を作っていき、工場を稼働させ産地を潤すような、そういうことも期待している。


産業は一部のクリエイションだけで成立しない。僕らはあくまで実売をやってる。夢を見せる場面は必要だ。でもその製造基盤は、多くの工業で担われていることを理解してもらえるような、そんな教育もあって良いのではないか。


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