値上げ。
先日、3年前まで頻繁にお取引していた染工場様に久々にお仕事を依頼した。
お付き合いがある時から積極的に値上げを断行されておられた同社は、この厳しい状況の中でもご健闘されているようで、生き残ってらっしゃる。残存者利益もあるだろう。
あまりに久しぶりだったので、この空白の期間も継続的に値上げされていた内容を僕は知らなかった。いやなに、いけないのはしばらく依頼をしていないこちらなので文句の言いようもない。
ないのだが、記憶にある単価より倍に近い。
ご担当者様の中では、この空白期間もじわじわやられていた中での「ちょっと高くなってまして」の枕詞だが、この「ちょっと」が僕に与えたインパクトはでかい。
世の中のありとあらゆるものが値上がりし、または日本円の価値が下がっていて、いずれにせよ市場のお財布の紐はとてもかたい。ワダコメのかりんとうくらいかたい。
時代の流れなのでやむを得ないから、悪いとかそういう話ではない。むしろ値上げ断行されて商いを継続できているのだから、踏み切ったタイミング(おそらく5年くらい前)もベストな判断だったのだろう。
とは言え、じゃその生地ってそこじゃなきゃ染められないんだっけ?と言われればそうでもない。ないんだけど、新規先案件でもあったため、そのまま提示加工賃単価を飲み込んで製品見積もりをしたのだが、お客様からディスカウントの依頼はない。今のところ。
きっと値上げって、今の流れからすると正しい。誰しも叶うことなら満足な収益になるよう値上げを提示してスッと気持ちよく飲み込んでもらえるのが理想だろう。
僕も値上げされること自体は全く異論なし。ないのだけれど、欲を言えば品質(それはクオリティとサービス)に伴った内容であることが必要条件になるのではないかと考えている。
以前からこの主張は変わらない。
仕方のないことではあっても、市場が許すかどうかは別問題だから。
先にも書いた通り、市場の財布の紐はかたい。わだk
なので「そこにしかなくてどうしても必要」というレベルではない限りは、やはりどこかで代替えがあるという意識を持っていなくてはならない。それでも発注がもらえる人及び会社は、その値上げに値する対応があると自信を持って良いのではないかと思う。
市場から許しを得るというのはとても大事なこと。それは『モノ』に限ったことではなく、提供している会社や人の考え方や行動が認められるということ。
どうしても最近は「やり方」に注目されがち。もちろんやり方は大事なのだけれど、根底にある意志にやり方がマッチしてテコの原理が発動する。小手先じゃなくて。
やり方だけ模倣して上手くいくなら、みんな今頃大富豪だ。どうしても勝てない人がいるということは、きっとそういうことなのかしらん。
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