繊維今昔。

先週は一年振りの関西方面出張で、見事にコロナ感染してきたようで今週は高熱にうなされながら気付けば木曜日。果たして明日はビールを飲めるコンディションなのか。


ちゃんと仕事の用件もありの出張だったが、1/3くらいは実はちょっと個人的な部分も大きく。最終日の和歌山はほぼ丸一日、ゆっくりと、前職の工場内で懐かしい面々と共に時間を過ごした。


たまたま最近改めてこの記事を目にして巻き起こった様々な人たちの意見を見て、先週和歌山で過ごした時間に考えたことなどをまとめておきたいと思った。


2022年での統計で国産比率が供給枚数ベースで1.5%になったことに対するリアクションは本当に様々あると思う。ついこの間3%切ったで大騒ぎだったのがもうその半分である。おそらくは全体数量も下がっているから、割合では半分でも、実数ではもっと下回っているのだろう。ちゃんと計算してないからわからんけど。たぶん大体そんな感じになると思う。


色々理由はあると思う。薄給による人材不足や、そもそも経営地盤の弱い会社が多いからコロナきっかけで件数が極端に篩にかかったり、そんなこんなで現場の数が減っているのも一つの要因である可能性は高い。


久々に訪れた古巣の現場でも、いつもなら忙しくあちこち走り回っている元工場長が割とゆったり機械をオーバーホールしている作業中だった。

工場内の機械稼働率もどちらかというと危機的仕事の薄さだった。当然だろう。国内縫製の仕事総数が減れば国内向け生地工場の動きも鈍くなる。

元工場長としばらく雑談した後、所用があって近所を散策するのだが、20年前見た景色とは明らかに様子が違っていた。

これは僕が修行していた工場のワインダー(糸巻き)場と編み場の隙間通路だが、和歌山の三葛地区はこんな感じの車が通れないサイズの道を隔てて所狭しと編み工場やら綿業さんの倉庫やらがあった。

こんな感じの、木造で奥行きがやたらあるのは大体が吊り編み機を吊っていた工場だったそうで、産業の移り変わりによって産地の景色も変わっていった。僕が知っているのは20年前からだけど、それでもこの景色の多くは住宅地に変わってしまっている。


思えば、僕の入隊当初の頃はオーダー数量が少なく、現場に注文を通してさえもらえなかった。僕のお客様からもらった注文は仕事にならないと。もっとちゃんとした仕事なら受けてやるといった具合だった。現場にいたから知っている。それは物理的に生産できない量だからではない。工業都合でめんどくさいから仕事にしないという当時の経営者の判断だった。当時繊維工業はまだ高速化真っ最中で、機械設備のキャパシティをとにかく埋めるやつが正義だった。しかもなるべく簡単で楽なやつ。30/1天竺とか40/2天竺とか30/10裏毛とか、ほっといても1日10反上がるようなやつが一ヶ月あるとか、そういうのが好まれた。

そこにファクトリーアイデンティティはない。ただこなすだけの工場だ。おそらくこういう意識が、世間の工場経営の総意に近かったのではないか。


たまに割と老舗の縫製工場の社長の商談に同席すると、期間と金額で握る話を相手先に仕掛けているのを見かけることがある。いまだにそういう意識の人たちが工業経営をしている。

そりゃそんな仕事が入れば現場の稼働率は上がるし最高だよな。でも時代は令和で、日本国内に求められる仕事というのは、どちらかといえばテクニカルで煩雑で少し想像力も求められて少量で手間がかかるけどスピーディな仕事だ。それがデフォで、それ以上に委託者がまとめられない要件のマス埋め作業を苦とせず、なんならそんなことよく分かりましたねって言われるくらい先回りできるほどの相手理解があれば尚よし。

定番的で黙ってても指示が来てどの工場の誰でもできるような仕事は国内に落ちてくる可能性は低い。あっても圧倒的低単価だ。それでも稼働率を優先して対峙した上で他で収益を上げられる構造がある工場なら問題ない。むしろそれができるならそれもやって、きめ細やかなフォローを求められるような少量でも付加価値の高い商いもしっかりとやることができれば最強だ。


最近はそれでも、自社の技術を見直して高単価商材の訴求に成功している現場も多く見かける。彼らは粛々と、現実を冷静に見て、自分たちの供給できる物をよく知り、然るべき相手と手を取り、無理のない数量で安定できるサイズの工場になっている。

このやり方自体が、今に見合っていて今後もそれで成功が続くかどうかはわからない。ただ、切り替えることができた人たちだ、もっと先のことも見据えて新しい一手も準備していることだろう。社長が代替わりして僕らと世代的に近くなっているのもまた心強い。


彼らもまた、僕にとっての前職元工場長のような自分で機械作っちゃう系のいわゆる職人さん達から叡智を引き継ぎ、そこに自分たちのフレッシュな目線をプラスしてアップデートしている。それを許した親世代の経営者たちもまた立派な判断だったと思う。


設備があるだけで黙ってても満足な金額を得られる仕事がくるような時代ではない。それがわかればできることはどんどん見えてくる。もっと俯瞰して見てみると、案外悲惨なことだけでもないような気がしているのは僕だけだろうか。

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