指図。

事情が重なり佐渡と千駄ヶ谷を行き来しているうちにこんがりと日焼けして異国感がたっぷりになってしまった。挿絵ほどには焼けた。

でも今回のブログは挿絵のような偉そうに指図するみたいな話ではない。


繊維製造業界に入隊してからずっと違和感があったものの、前職の書式然り、受託加工系の工場様全般、依頼書の名目が『指図書』だった。

違和感を改めて感じたきっかけは僕にとって業界の先生でもある泉州にある生地プリント工場の社長様との長電話だ。

大変有意義な長電話である。生地プリントを簡単に考えてはいけない。大昔に北関東方面の加工場様でプリント加工して何度痛い目をみたことか。だからこのプリント工場様も同様に、双方にとって不利益になるような発注の受け方はせず、イージーな内容だとしてもとても慎重なスタンスで色々と説明してくださる。


で、こちらからの加工依頼があってのやり取りではあったんだけど、最終的に長電話の切り際に「ではお指図の方お待ちしております」と言われたので昔の違和感が蘇った。


なんてことはない。昔から加工場様は「指図くれ」とよく言ってきたものだ。そしてその『指図』は、いわゆる加工内容の明示である。だから用法としては全く正しい。正しいのだけれど、果たしてどれだけの依頼主が、この加工依頼の内容明示ができるのだろうか?


僕もそれなりに場数を踏んだとはいえ、僕なんかより遥かに該当加工に詳しい現場の方々に向かって明確な『指図』などできるわけがない。

だから弊社発注書面に関して、委託加工先様への表題はあくまで『依頼書』である。極力具体的な加工内容を明記しているが、それでも曖昧領域が完全に潰せているわけではなく、依頼内容に沿った形で理想に近づけるために現場の方々の知恵やお力を借りる以上、敬意も含めて『依頼書』にしている。皆様の胸を借りるのだ。指図なんてとんでもない。


おそらくその昔、国内繊維製造にて分業体制で各加工場が独立法人として分布し出した頃は、モノづくりを明確に指示できる知識が依頼主にあったに違いない。だからあくまで現場はその『指図』によって稼働することで商いが成立していた名残ではないかと想像する。


依頼主が『指図』したのであれば、加工場は指図に則って動くので、成果物に対する仕上がりはほぼ指図内容次第で左右されていたのだろう。そこにはどういう結果があっても依頼主の責任であるという背景も想像できる。

この歴史が長かったと仮定すると、何かしらトラブルが起こった際の責任の所在に対する加工場の拒絶反応というのはとてもすんなりと理解できる。だってそうなるように指図してきたのは依頼主なのだから。


昨今は依頼側の各分野に対する知識は当時に比べ格段に劣っているのはいうまでもない。これ自体を嘆いても仕方がないので出来ることをやって前に進むしかないというのはいつも自分の発信を通して啓蒙しているところ。だけど、受託製造加工サイドと企画サイドの感情的溝は確実にこの知識量の乖離から生まれている。

委託者もわかってるようでわかってない。でも受託者はわかってるような反応を見てわかってると思い込む。そこに微細な落とし穴があったとしても、受託者からすると「それくらいわかってるはず」で進んでしまい、後から大なり小なりトラブルに発展するケースが多いように思われる。結果的にトラブルになった時、委託者は「なぜそれを教えてくれなかった」というリアクションになり、受託者はわかってるような反応を記憶しているので「あん時はそれでええと言うたじゃないですか」という、いわゆる『言った言わない問題』に発展しているように見える。

仮に書面上で受託者からリスク説明があったとしても、委託者がその説明を理解していない場合も同じような感じになる。


みたいな、ね。ちょっと言葉の引っ掛かりから想像が膨らんで勝手に埋まらない溝の心配をしてみたりなんかして。

まぁ何にせよ、知識を得ていくには現場の方々と密にコミニュケーションとっていくことで色々と教えてくださるので、現場行くなり、電話するなりしたら良いかと思う。工場様も前の情報知りたいしね。やっぱ貰うだけじゃなくて双方向に情報が行き交いしないと。ちょっとしたことでも繋がっておくといいことあるもんだなと思った長電話の話。

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