実需と理想。
『安物買いの銭失い』ということわざがある。最近娘が教えてくれた。娘はことわざが好きでたくさんことわざを知っている。
この程度のことわざ知らないのかとバカにされそうだが、知らなくても生きてこれてしまったのだから世の中を舐めてかかってしまう性格はそうそう簡単には治らなそうである。
僕自身、家族の洋服購入に関して基本的にはノーコメントであるが、子供服などは成長が早い子供に向けて丁寧に作られた高価な洋服を与えることは、現実問題からして、ちょっと考えにくい。
まず普段着として高級品を着せたとして、奴らは遠慮なく砂場にダイブするし、坂をおしりで滑り降りるし、転ぶわで、容易に破れてしまう。そしてあっという間にサイズアウトしてしまう。着れなくなってボロボロになった子供服をリユースさせて循環経済みたいなのも、少し気が引ける。それでもそういう服に需要があるのなら喜んで提供したい。綺麗に着せたくても、彼らの行動を無理矢理抑えつけて服を守るよりは、伸び伸びと成長して欲しいものである。従って購入する洋服はプチプラファストファッション中心である。
これが現実である。いわゆる実需筋の買いだ。インフラとしてこの辺の市場をグリップしてる企業は強い。
ただ一方で、国内生産にて洋服を作りを生業としている身としては、これは非常に寂しい現実である。理想は高価でも丁寧に作られた洋服を着てもらって、国内経済循環の一助を担いたいもんだが、そういう家庭内経済水準にないため夢のまま子供たちの子供時代が終わってしまう可能性が高い。なんとか頑張りたいものだ。
しかし、綺麗にきることができるオケージョンなら、着用回数も少なくリユース市場も見込めるのでチープな物よりは良いもん着せてやりたい親心がある。
たまたま娘のピアノ発表会が近く、ネットでポチったドレスが届いていたのを見て、少し思うところがあった。
別に一回ポッキリの舞台衣装だし、凝視されるものでもないから、ぱっと見でステージ映えしたらそれで良いのかもしれない。でもそのドレスには品質表示も付いていなければ原産国もわからない、組成もわからない(繊維ポリスなのでタッチでポリエステルと判断)、表の謎位置にテープがループ状に縫い込まれている(装飾とは思えない)ドレスを着せるのはどうなんだろうと。
もちろん、これ自体が悪とは言わない。実際にその需要があるから商売が成立している。そういう物で助かっている人たちがいる。価値の置き所というのは人それぞれなのだ。
なのだが、繊維ポリス改め、洋服作りを生業としている身としては、大いにモヤった。これはSDGsの文脈からしても、アレじゃね?的な気持ちにもなった。別にSDGsとかそんな考えてないけど。おそらくは先述の理想があるからだ。感情はそういうところに引っ張られて動くもんだ。
こうやって瞬間的なタイミングのために多くの消費が行われ経済が循環していく、そしてその時に得られたのは洋服という物ではなくて着用して演じた体験なのだから、その服自体がその後どういう末路を辿ろうとも、大した問題ではないのかもしれない。
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