リーズナブルがわからん。

リーズナブルってなんだろうか。

英語のREASON(理由)がABLE(可能)なので、REASONABLEは「道理にかなった」などの意味らしい。

『安い』という意味合いが先行し過ぎている感は否めない。育ってきた環境が違うから。

とはいえ、どうにも拭いきれないこの違和感。


もうこの繊維業界もそれなりに長くお世話になっていると、いわゆる相場ってのも意識するようになる。最近は綿花が色々な理由から高騰していたり、原料全般全面高、原油高、円安気味など、原料資源を輸入に頼っている島国日本においては、様々な相場を見ておくというのは供給する側としてある種の義務に近い部分だと勝手に思っている。


「今綿花高騰してて最安でもこの価格なんです...」と申し訳なさそうに語る糸商社の営業さん。その値段の高さも、道理にかなったリーズナブルではないか。違うのだろうか。


おそらくは商品またはサービスが買い手側の使用便益に応じて、支払うべき価格の釣り合いが取れている状態のことを本来のリーズナブルと考えるのが適正ではないかと、個人的には思う。ので、最高級原料を思いつくままハイスペックに仕上げたテキスタイルを誇らしげに量販向けのメーカー様に提案し、好感触を得た後にお値段をお伝えしても開口一番「高っ!!!」と言われるのは、これは仕方のないこと。相手の市場を知らずに(奴らは価値がわからん)と憤ったところでなんの意味もなさない。

その憤りは、相手に向けず、自分の行動に向けるべきだ。


生地売りや縫製も工賃商売の場合、相手がエンドユーザーとは限らないので、間に立つ人たちの先の(もっというとその先の)お客様まで意識してご提案差し上げる必要が出てくる。

どんなに手間のかかった丁寧な商品でも、お見せする相手を間違っていればその価値は一向に理解していただけない。これは相手が価値がわからないのではなくて、単純に市場の違いだ。そこに余計な感情の介入は不要である。

もし、然るべき相手に届けたいのであれば、その市場に向けた道筋を提案先である間に立つ人たちに伝える必要がある。自分たちは作って終わり、それが仕事というのであれば、それは作るだけの価値だけで見定められるので、『相手の市場のモノサシで測られた価値のある価格』で戦わなければならない。たとえそれが自分たちの運動量に見合っていなくても、相手の市場ではそのクオリティに対して支払える対価が自分の望む対価とイコールになることはありえない。


まぁ縫製業などは、仕事を受ければエンドユーザーの顔が見えてしまう世界でもあるので、理想と現実の乖離分を中間業が搾取していると感じやすいのは否めない。育ってきた環境が違うから。

その差分を埋めるには、搾取と思しき相手を飛び越して、彼ら同等の運動量をこなすしかない。


間を飛び越えて前に出てくると、思いのほか予算の余白はある。ただし、この余白分は、運動量と品質に対して相手が満足してくれなければこちら側に引き寄せることはできない。

マックス余白を取るか、できる範囲で落とし所をつけて相手と分かち合うか、その後継続性が出てくれば、それが相手にとってリーズナブルな価格なんだろうなと思う。


そういう意味では、テレビショッピングなどで連呼される、メーカー様側のリーズナブルって言葉は、価値を一方的に決めてくる印象を受ける。きっと彼らの方が僕なんかよりずっと学があって賢いのだろうから、リーズナブルっていう意味を正しく使ってるんだろうなと思うと、また道理にかなっているかどうかわからなくなってしまうのであった。

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