かっこよくありたい。

「それがかっこいいかどうか決めるの、オレらなんで」

これは以前も書いたが、今大変お世話になってる原宿のお兄様方とお仕事を始めるにあたって、最初の頃に言われた言葉だ。


提案とはしばしば、押し付けがましい節がある。遠慮がちに慎ましくやるのが美徳とかそういった話ではなく、商いをしていく上で自分たちのプロダクトが優れているということを知ってもらいたいがために、何か既存のものを悪者に仕立て上げて比較するというのはよくある手段である。


テクニカルな側面では、それも立派な営業方法だ。なんせ冒頭で言われたように、僕自身そういう『何か』と比べて売りたいものを「かっこいい」だったり「価値がある」などと正当化して提案していたし。そういうのを喜ぶお客様だっている。

だからこれ自体が間違っているとは思わない。正解なんてない。


前職時代、営業してて感じていた自分の中の違和感を一発で表面化させてくれたアニキたちの一言はありがたかった。僕にとっては。

隣倣えの売れ筋情報を欲しがる人たちに向けて、数売りゃ正義だった商いに、ちょうど面白味を見つけられなくなってた時期だ。もちろん売り上げが立たなければ生活もできないので、人様に役立てるようお手伝いさせていただくという部分において、売れ筋情報を欲しがる人に提供するスタイルだって、立派な商売方法だ。ただ、僕にとっては、なんかちょっと、アレだった。


企業は経済活動を通して成長していく必要があるので、数字を求めて無理をした時期もあった。生産都合を上乗せして無理やり数喋らせ(多い数量を発注させ)て、相手の商状況を無視して限月でバシッと引き取らせる。30反のオーダーで刻みたいお客さん相手取って「これ、ちまちまやらないで50本くらい行きましょうよ」「100喋ってくれたら少し安くできますよ」などなど。相手は苦笑いしながら発注書切って、こっちはホクホクと帰社する。引き取りが悪ければ「御社の発注なんだからちゃんと取ってくださいよ」と圧力をかけて仕切りを入れる。コンペになれば手合先の情報探り入れてスピードと値段のくぐりあい。

それはそれで、工場様への発注を確保する上である意味正義だったし実際に喜んでもらってたと思う。お客さんも買ったもの売るために一生懸命頑張ってくれたから、たぶん負の感情ってのはなかったと思う。ちゃんと聞いたことないから、知らんけど。


急に興醒めしたのは、小規模の頃から共に成長という感覚でお手伝いさせていただいていた大手様の中の新規ブランドが徐々に拡大して大手ライバルがコンペに入り出した頃だった。数字がある程度安定してきたので後輩に商権を渡した。しばらくして発注が途絶えた。決して後輩のスタンスが悪かったようには見えなかった。上司から突かれたのもあって、久々に電話して話を聞こうと「最近どうですか?」と言った直後に「オタクが悪いんじゃないの?」と言われた。最近どうか聞いただけでウチが悪いと言われた。

出入りしだした大手ライバルは、発注書をもらわずとも、見込みでそのブランドのために在庫を積む資本力があった。そして喋った数を下回っても引き取り要請をせずに残りは他社へと転用していた。これは大手だからできる所業だ。さすがに当時の仕組みではそこまで対応はできなかったのでやむなく降りたが、自分たちが悪かったなどと納得できるわけがなかった。「オタクが悪い」と言い放った御仁は既に会社都合の自主退職をされていたので、もはや確認もできない。


相手を見てやり方を変えるのが良い。商売は自由競争だ。だからあのとき発注が途絶えたお客様も、彼らの考える正しいビジネスをしたまでだ。精神的なザラつきなどビジネスに持ち込む必要はない。が、フィジカルワークは心と切り離すことが難しい。工業と商業をつなぐ中間業者は、そういう意味で精神的バランスをとる必要がある。

そんなタイミングで出会ったアニキたちは、なんか急にかっこよく見えた。自分たちのかっこいい基準が自分たちの中にあった。

そんな彼らにかっこいいって認めてもらいたいと思った。


僕らは仕入れ先様が作ってくださる物しか、目に見える商材はない。そういう意味では、情報繋ぎの商売は、自分たちで開発しなくても他力本願である程度は可能である。

裏を返せば、モノだけでは値段を比べられて終わってしまう。


じゃ僕らである意味はなんだ?


最近はSADOBASEの進行もあって、方々から「なぜ独立したのか?」を問われることが多くなった。

ふと口をついて出てしまった「正しいことがしたい」とは、とりようによっては前職や他の企業の在り方を否定してしまうが、そうではない。モヤモヤの正体は、相手に無理させて商いを大きくすることへの疲弊だ。この仕事に就いてからは仕入れ先様に対する気持ち的なウェイトが大きかった。当然だ。物が作ってもらえなければ、注文をもらえても製造納品ができない。だからと言ってお客様の言いなりになって仕入れ先様に無理をさせるのも違う。

ultimate=究極の

clothing=衣類を

works=つくる

とは、三方合意の上、心地よい経済を回したい思いの現れだ。

その中で、相手の考える「かっこいい」を理解して、カタチにしていく。そしてだんだんと相手から「おまえのやり方かっこいいな」って楽しんでいただけるようにやっていきたい。


そう、なんかごちゃごちゃと手段やらなんやらを並べる必要はなく、「正しいことがしたい」とは、自分自身が納得した上でそのやり方が「かっこいい」と思えることがしたかったからだ。人に押し付けるでもなく、自分たちが納得できる「かっこいい」を目指して。

かっこいい基地作るんで、仲間になってくれる人待ってます。

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ultimate/究極の clothing/衣服を works/創造する ulcloworks

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