トリガー。

ジャイアントキリングは成しえたらヒーローになれるように見えるが、同時に全てを失う可能性もある大博打である。

悪だと思っているものに銃口を向け引き金を引くときは、自分も撃たれる覚悟を持ってやらないと、途端に飲み込まれてしまう。


正義とは常に一定ではない。視点が変わればそれぞれに正義の方向も違う。この二日間で感じたことといえば、その悪と思わしきものに向けた銃口は、おそらく本心であっただろう。しかしその悪としているものたちが掲げる正義が、実際には多くの消費者の財布を助け、生産現場の稼働率を上げ、経済指数の底上げをしている。

そして、その悪と思っている相手と取引を最初に望んだのは他でもない、銃口を向けた自分ではないか。


僕自身、昔大口のお客さんと向き合ってたとき、そのやり方に対して全く納得ができず、苦しめられていた。苦しめられていたと感じていた。

辛い。苦しい。楽しくない。この業界は苦行だ。そう思っていた。どこに理想郷を求めていたかというと、楽で儲かる世界を夢見ていたのだろう。そこに自分を追い込んでからでしか掴めない世界があるという現実を知らずに、ただ甘えていたに過ぎない。事実、楽で儲かる世界はない、そういう風に見えている人はなんかしらなんかあるか、表に見えないけどめっちゃやることやってる人かのどっちかだ。

悪しき風習は少なからずある。それを容認するわけではない。どう見てもそりゃお前アウトだよってのは、事実ある。ある。が、その人たちと商売をしようと、舞台に上がってきたのは誰だ?自分自身ではないのか。(2回目)


どこかで勘違いが生じる。コストは上がっても売値に反映できない時、値上げを許してくれない相手を恨んでしまう。本当にその交渉はしたのか。値段が通らなかった時、その次にどうするかしっかり行動で保険をかけたか。一つの相手に全てを求めるのは、求めすぎではないか。それが規模を要する相手だったとき、満足のいく利益率を残すにはそういうものを受け止め切れる背景でなければいけないのではないか。

いやわかるよ、自分らが吸収しないと、それ以下の人たちに対して無理を強いなければいけなくなる。それでも、その商売がなかったらどうだったか、最初からなくてもよかったのか、苦しくても続けた方が実は現場は喜ぶんじゃないか。銃口を向け引き金を引く時、それはそのものを失くすことを意味するのだから、突きつけられた条件が不服でも、銃を向けて「なんとかしろ!」と言うのは、脅しってやつじゃないか。


バランスは自分で取らないと、これからの時代は誰も救ってくれない。同情は得られても、それで食えるわけじゃない。まして、業界を変えたいと声をあげるなら、正当な手順だってある。喧嘩を売るなら自分も殴られる覚悟はいるし、背後から殴りかかれば、どんなに相手が悪いやつでも、やり方としては卑怯だと言われる可能性だってある。


苦しいと声をあげる人たちの現状はわかってる。気持ちもわかる。だから否定するもんでもないけど、本気で立ち向かうならネガティブなところを匿名でリークするようなやり方では、相手は痛くも痒くもない。逃げ隠れる事が容易な相手の言葉の信憑性など、取るに足らないからだ。


それでもやるなら、やられてもやり切る覚悟がいる。そういうのがないと、ほとんど何も変えられない。手軽に発信できてしまうからこそ、そこんとこしっかりしとかないと。


ちょっと前に書いた内容ともかぶるので、よかったらどうぞ。

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