当たり前の線引き。

かくいう僕も、自分の基準を相手に求めがちなのだが、人の感じ方というのはとても主観的であって、必ずしも周囲のみんなと同じ気持ちが共有できるものではないのだ。今日認めることは自戒でもある。


同じ目線になれなかった時、どう感じるか。

きっと不満に思うだろう。

例えば深夜のコンビニエンスストアでレジ対応してくれた人の商品の取り扱いが雑だった時、もうちょい丁寧にやれやって思ったあなた(または僕)、レジ対応しているその人からしたら、薄給でやらされている意識が充満していた場合、その丁寧にやれやって感情は共有できない可能性の方が圧倒的に高い。

ものづくりの場合、その不満に思った気持ちを、もしかしたら相手も感じているかもしれない、そういう想像力が働くかどうかで、ものづくりの精度は格段に違ってくる。


常々、ここに繊維製造工業各位の勝ち筋があると思っていて発信させてもらっているのだが、やはり金額に対する運動量に対する印象は、支払う側と受け取る側で相当な溝がある。

そして不思議と、受け取る側の不満は、支払う側に回った時に伝染する。


仕事を依頼する時、または受ける時、支払う金額で相手に期待する運動量、または提示金額に対する自分の提供価値運動量の齟齬というのはいつだってある。特に繊維製造の場合、その線引きというのは契約書で明文化しにくい領域がある。

発注内容が実績のない新規チャレンジだった場合、あてにする類似サンプルのないのだから、見積もりや仕上がるクオリティの説明は想像の世界になる。依頼を受けた側からすると、それは想像の世界になるので、ある程度の許容範囲の広さを求める形になる。

しかし依頼側は、想像の範囲という許容範囲の線引きの明確さを求める。そして、その線引きも明文化できない場合が多いので、仕上がったあとで「思ってたんと違う」案件が多発する。


こと繊維製造業においては、(経験値+勉強)×想像力で、想定される事例を事細かに提示できたらこの齟齬は減る。でも直工場でやりがちな昨今では、指示=仕上がりイメージなので、縫製工場に生地のどうなったこうなったの原因を求めても専門領域が違い、その原因がどこにあったかをトレースできるほど指示者に知識がなかった時、工場と依頼者の間には嫌な空気が残りやすい。


そこで中間業者の役割が問われる。

だがこの中間業者が工場よりだったら、お客さんが満足する世界を実現することはできないし、お客さんよりすぎたら、工場さんがちゃんと指示を守ってくれるような関係性になかったりする。


それぞれの立場からの『当たり前』の線引きが双方向で理解ができていたら、そんなにストレスなことはなく、結構楽しくやれるのが、繊維製造だと思ってる。

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