居場所。

今回は繊維を離れて箸休めの雑記をダラダラと長文さーせん。


冬が近づくと結構な割合で不幸が増える。今年は僕の身近な方々も多く亡くなられたので、なんとなく過去を振り返る時間が多い。そんな時間の中で得られる発見があれば、また僕を前に進めるエネルギーになってくれる気がする。

過去の積み重ねが今の立ち位置なら、たぶん、意味はあるように思う。


僕が特定の事柄(例えば音楽とか)を『好き』と主張することをやめたのは、『好き』と主張することでそのジャンルにおいてさらに僕よりも知識を持って深く掘り下げていらっしゃる方々の中でも、一部の、特に知り合いでもないのに心ない人が「じゃこれ知ってる?」の応酬から「そんなことも知らないで好きって言っちゃうのwww」みたいな、そんな空気が、本人の悪意はなくても存在してしまうから。

こんなこと、自分さえ気にしなかったら大した問題じゃないし、場合によっては世界を広げてくれる可能性もあるので、マウント取られた!!!なんて騒ぐつもりもないんだけど。自分で楽しめる範囲を超えて押し付けられた知識によって得られたものが、生きていく上で必要な部分ではなく、そのジャンル内で勝ち誇るだけのものならば、少し寂しい気もするから。そしてそういうエネルギーは時々、知識を求めない人にとっては排除の足切り線にもなってしまい、純粋に楽しむことが難しくなってしまう場合もある。


商売にするならともかく、狭くて深い世界は時に、諸刃の剣だと感じてしまう。


僕の青春時代というか、小中学の時は野球少年だった。理由は簡単でそれしか選択肢がなかった。

超絶肥満で、おそらくそういう集団に属して一生懸命ぶら下がってないと、いじめられてしまう恐怖もあった。というか、野球やる前は、自覚はなかったけど、それはいじめと言えるだろう行為は受けていた。自覚していなかっただけ幸せ者だ。別に不幸自慢したいわけじゃないからどうでもいい。


野球をやってる時は公然と「野球が好き」と言っていた。なんの迷いもなかったし、実際そう思ってた。超デブ(体脂肪率40%超)だったけど、野球やってる時は苦手だったはずの先輩たちも僕を仲間と認めてくれた。それが嬉しくて部活以外の時間も先輩達と一緒に練習や走り込みに混ざった。中学に上がって1年から2年になる冬を越した頃には、肥満児の肉体はまるで別人になっていた。ダイエット本書けるレベルで。

体が別人になれば機動力も変わるので、レギュラーになることはそんなに難しいことじゃなかった。というかそもそも人口が少ない中で、レギュラーになれない人は概ね身体能力がレベルに達してなかった人たちになってしまっていた。今だとこういうのも問題になるのかもしれないけど、組織として勝つために能力順に選定されることは、ものすごく自然なので昨今の何がなんでも『みんな一緒』みたいな空気を強要されるのが苦手なことも多い。こういうこと言うと「だから山本は排他的なんだよ」って言う先輩が身近にいるのでこの辺でやめておくけど、別に存在否定しているわけじゃなくて、適材適所があって、さらにその中でもやるべきことをやってない人もいるじゃんってこと。はい脱線。


ただ、この体が別人になってレギュラーになったことで、野球が好きというピュアな心は、どこかでレギュラーになれない人たちを足切りするための線になってしまった気がする。自分の中で矛盾している感情があって、最初は居場所を許されることで感じていた幸せも、いつの間にかその居場所の中で優位に立とうとする欲が出て、勝つことしか求めなくなった結果、黙っててもレギュラーになってしまう三年の頃には野球そのものに興味がなくなってしまった。

できないって言うやつを詰めたり、ついて来れないやつをほっといたりした。自分が先輩たちからしてもらったことを、自分が変わった途端に周りに対してしなかった。

後輩からしたら、本当にスカした嫌な先輩だったと思う。だから先輩が抜けた新人戦の初戦で僕がバッターボックスから一塁に向かって走り出すときに滑って転んだ時は仲間から拍手喝采が起きた。

これで野球をやめる覚悟ができた。


バンドもそうだ。野球少年はバットをベースギターに持ち替えて高校生になった。高校の頃はバンドマンってだけで、なんとなく一目置かれた。それとなく組んだドラムのやつがまた剛腕で、ニコイチで天下取った気がして超天狗だった。でも最初はそれなりに音楽は好きで、技術も突き詰めた結果得られた位置だったので、入り口のピュアな心から、進んだ先に守ろうとしたのは自分の確固たる優位性だけだったようにも思う。高校時代も中学の野球と同じ過ちを繰り返してしまった。


時が進んで社会人、前職が初めての就職先だった僕は、ほとんど精神的な成長をしないまま、数字と年数を重ねそれなりの立ち位置になった。役職に興味はなかったけど微力ながら会社の柱になっている自覚はあった。自称天才のアホはその若さとアホさを存分に発揮し、周囲の大人たちに可愛がっていただける環境が当たり前だと思い込んで、相当生意気に仕上がっていた。当時お付き合いのあった僕のお客さんだったら、その生意気具合はよく理解できると思う。普通に泣かしてたし。


ここでも僕は、自分の居場所がある幸せから、優位性を保つために勝つ(または人を蹴落とす)過ちを繰り返した。社内でも営業事務が6人もいたことに不服を申し出て、偉そうに首切りを当時の社長に進言したこともある。

数字を作らない奴が存在する意味がわからないなんて言い放って、本当に嫌なやつである。

組織が生存するためになんでもやるのは普通だと思っていた。勝つためについてこれないならそいつが悪いくらいに思ってた。

当時の問題発言(社長に営業事務のリストラ進言)後、社長は静かに「せやけど山本くんなぁ、お前みたいなやつもおって、でけへんやつらもおってやな、会社ってそういうもんやで」と仰った。その時は全く理解できなかった。


同じ頃、サラリーマンと並行していたバンド活動も雲行きが怪しくなった。レギュラー出演するためにオーディションを受けて勝ち取ったステージをこなす度にマネージャーからバシバシ厳しいことを言われ続け、レコーディングではエンジニアに「そんなレベルならやめちまえよ」って罵られながら、ライブの集客に悩み、スタジオ代を捻出するのにも一苦労でメンタルが削られていくメンバーが出てきた。

きっと本当に強い奴らってこういう場面でも自分自身を鼓舞して這い上がるもんだって思って、僕も厳しくメンバーに当たった。同じくらい自分も追い込んだ。

そしたらある時プツンて何かが切れて「そんな言い方されるともう何も言えないよ」と一人のメンバーが言ってバンドはバラバラになった。

僕は精神的成長を全くしていなかった。


どの場面を振り返っても、僕は自分が認められる居場所に喜びや幸せをおぼえ、その事柄を好きと言えていたはずなのに、自分の優位性があるところまでいくと、今度はそれを守ろうとするために、自分のレベルに届かないものは認めないというつまらんやつになっていて、その頃には本当にその事柄自体が好きなのかどうかもわからなくなってしまっていた。


会社を立ち上げてメンバーが増え、今、ようやく前職時代の前社長が言っていた「会社ってそういうもんやで」の意味がわかってきた気がする。

最初は何もできなかった僕を見守ってくれた先輩たちが僕にしてくれたことを周囲に対してできなかった自己中心的で愚かな僕の背後には、中学野球部の仲間や後輩、高校軽音部の仲間や後輩、バンドメンバー、前職の後輩たち、ほとんど残っていない。目線を合わせて一緒に学ぶことも、できるようになるまで付き合うことも、本当にできていなかった。それどころか、できないと排除する空気さえ作っていた。与えてもらうことだけで、自分から与える行動をしてこなかった。


こうした過去に対する自己嫌悪が、自分に降り掛かる「好き」で足切り線を作る空気を嫌う理由なのかもしれない。


会社って意味調べると社会貢献するための集団で、その旗振りをする僕自身が、過去の懺悔として今事業を進めているのかもしれない。事業を進め、顧客に便益を感じてもらい、その対価で雇用を増やす。同じ志のもと集った仲間に、ともに歩める居場所を提供する。そうであるならば、社長と呼ばれて悦に浸るのは違う。過去の自分を自戒のネタとしてこれからも精進していこうと改めて思ったポエム。


今年お亡くなりになった、僕を見守って下さった方々のご冥福をお祈りします。ご生前は本当に暖かく接していただきありがとうございました。皆様のありがたい教えを、自分の生涯を通して一人でも多くの方に届けられるよう邁進していく所存です。

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