丸編み生地製造という職業にたどり着くまで-7-
僕は他社の架空発注による不良在庫を売り捌くという謎の命題を抱え、冬物商戦の季中デリバリーを狙い炎天下の日本橋繊維問屋街の中、台車に反物を積んで駆け回っていた。
やっとのおもいで捌き切り、日本橋の問屋には感謝しかない。
某専門商社とはその後も他の部署も含めて商売は続いた。まだまだ百貨店が主流の時代だった。
とある百貨店スポーツ系アパレルのSランクの発注時などは生地を国内で作り、船で海外へ出して縫製するのが通例になっていたため、企画が遅れて生地がなかなか決まらなくても納期はズラしてもらえず、縫製工場の段取りは全て組んでいるため船のスケジュールに合わせて死ぬ気で生産することも珍しくなかった。
死ぬ気とは、生機の納期を詰めるために現場に入りニッターさんと一緒に糸立て作業をしたり、そのままトラックに相乗りして生機と一緒に染工場に入り荷受から工程組んでもらって台車を工場員さんと一緒に押して作業を手伝い、染め上がりの生地を出荷のトラックに乗せて見送るなど、人間やろうと思えば何でも出来るものである。
そういった一連の努力を知らずに、アパレルメーカーや商社はそのスケジュールでも生地は作れると勘違いする。もしかしたら知ってても、「やれ」というし、出来ないと言えばよそにその仕事がいくだけだと脅しもかけられる。
しんどくて、オーダーを断るような態度も出てくるようになり、専門商社の偉い人から僕の上司にクレームが入った。
上司は「お前の気持ちはわかるけど、あいつら(商社連中)のためじゃなくて、お金のためにやってると思ったら、オーダー受けられるだろ?」と言われた。
この文面だけ切り取ると完全なブラックだが、おそらくこの業界内の人たちならこういう場面は少なからず通ってきたのではないかと思う。
僕の精神的な部分を楽にしようという他意はあったのだろうし、そういう優しさでこの言葉を僕に向けた上司の気持ちもわかる。
しかし後にこの言葉がシコリになって僕の方向を大きくかえることになる。
一通りやりきってシーズンの端境期に落ち着いて振り返ると、残ったのはそれなりの売上と利益、そしてボロボロの精神と体だった。
売上の柱は会社的に崩してはいけないと思うものの、その仕事自体に義を感じることが出来ず、大手系のオーダーに対して全て懐疑的な何とも腑に落ちない気持ちを抱くようになる。
(こんなことを続けていて良いのだろうか?)
そんな毎日を繰り返すようになった。
あの日、あの厳しくも優しいデザイナー氏に言われた言葉の本当の意味を考え直した。
そして大切な事に気付いたのだ。
つづく
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