HARUKUNI_YAMAMOTO/山本晴邦

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頑張るということ。

「こんなに頑張ってるのに・・・」など、自分の努力が人から認められない事を嘆く人がいるが、努力をしても評価されない状態はどういうことか冷静に考えてみてほしい。それはつまり、誰かが評価するに値しない状態だということではないか。「頑張る」をweblioで調べてみた。ーがんば・る(動ラ五[四])「我(が)に張る」または「眼(がん)張る」の転という。(頑張るは当て字)①あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。②自分の意見を強く押し通す。我を張る。③ある場所を占めて、動こうとしない。とある。つまり、「頑張る」とはもともと、誰かに評価される事に重きをおいた状態ではない。実現するためにやり通す事として言葉の意味としている。まぁ言いがちだけどね「頑張ってるのに・・・」とか「頑張ったのに・・・」って。「〜のに・・・」の部分は「ダメだった」ということだろう。自分が思ったほど誰かに認めてもらえなかった。自分が思ったほど結果が伴わなかった。ということだろう。成そうとする事ができなかった時、そこで切り替えて違うことに挑むのも良いだろう。ただしここで勘違いしてはいけないのは、「頑張って成せた人もいる」から、自分の積み上げた「質と量」をきちんと省みることだ。ここが甘いと、何やってもだいたい成せずに愚痴が出る。信念を貫いて成し遂げたい事が明確にある時、誰かの評価がどうであれ、「頑張る」ことを続ける事ができる。頑張ってやってみてダメだったら、何がダメだったか考えて修正してまた頑張る事ができる。成し遂げるまでこれが続く。成し遂げる事が目的なので、誰かに評価されようが、されまいが、成し遂げるまで頑張れる。成し遂げる事がモチベーションだからだ。そして成し遂げた時、だいたいは周囲から評価される。それは成し遂げた事への賞賛だ。いつも誰かに評価されたいと不満を持っている人、何か成し遂げたことはあるか。成し遂げるまでやり抜いた事があるか。誰にも褒めてもらえなくても、自分の中に燃やし続ける事ができる信念の火種があるか。僕にはある。まだ誰かに評価されるレベルじゃないし、仮に誰かに評価されてもそれが今の段階でという認識でいる。まだ何も成し遂げていない。しかし確実に火種は大きくなっている。

事実と付加価値。

昔、とある有名アパレルメーカーの仕事でオーガニックコットンを使用した生地を納めたことがあった。しかしそのオーガニックコットンは協会認定を受けていなかった為、認証機関の証明書が添付できなかった。とはいえ事前にそういった認証がない原料であることは伝えていたし、実際にオーガニック栽培された事実証明は第三者機関から認められている商品だった。ところが、「協会認証機関の証明書がないならば¥500/m安くしなさい」という、『圧縮』が入った。こちらもそういう可能性を考えきれなかった甘さがあったので、折衷案で和解して納品に至ったが、これはクセの悪いアパレルがいるとかそういう意味ではなく、そもそも『オーガニックコットン』を付加価値として売り物にする際、結局は『ブランドの冠』が無ければ意味がないということの裏返しだということを思い知った一幕だった。では、認証機関の証明書という『ブランドの冠』があったらオーガニックコットンは価値として認められたのか?少なくとも、アパレルメーカーの彼らにはそうだった。しかし、実際のお店ではどうなのだろうか?その認証機関そのものが一般市場で『ブランドの冠』たるものなのか?そもそも、オーガニックコットンを使用する意味とは?企業コンプライアンス<市場付加価値 となっていないか?これはどうなんだ、衣料品を消費と考えている人にとって倫理的に正しい選択をしてもらい持続可能な社会活動云々の話ではなかったのか?こういうのは、工業の中にもある。吊編機で編まれた裏毛は、確かにもっちりしてる。僕レベルの丸編みバカなら、アレの風合い表現を「ずっと噛んでられる」とかいうキチガイ発言をしてしまうレベルで、もっちりしてる。似たような風合いはシンカーでも作れる。普通の人なら、それで十分である。しかし生産性の問題から、工賃は天と地ほど開きがある。それでも一定数のファンが存在し、その価値を認めていて、実需で求められているからこそ、その工賃の正当性が認められている。僕も、買うならシンカーより吊がいい。吊もできれば〇〇より〇〇〇〇が編んだ生地の方がいい。これは認められた市場があるから請求できる価値であり、生産量に対して需要が上回っている事実がある価値である。そして吊編みはある程度知名度を得て、『ブランドの冠』を手に入れたと言ってもいいだろう。そこへ旧式であること、一度は衰退の路を辿ったことがストーリーを美化し、さらに付加価値を世間が勝手に付与してくれている側面もある。これは非常に良い循環だ。ちなみに余談だけど吊編機は動力一個で20台くらいを同時に回転させることができる上に糸ロスもシンカーのそれに比べたら非常に少ないクリーンな生産でもある。ある意味エコ。サスティナブル、そしてエシカル。しかし一度は絶滅危惧種だった編機である。時代の移ろいと共にそれが改めて価値として認められるように生き残らせてくれた会社が数軒あったからこそ、ようやく日の目を浴びる時が来たという感じだ。そこへ瞬間的に乗っかろうとしてくる某アパレルメーカーが、あんな現代においてはスローライフの権現みたいな編機で作られた生地を求めて、市場価格を下げて一気にシェアを奪おうと、物量でコストを圧迫してきたことがあったが、そもそもみんな列をなして待っているのに、いきなりドカンとサクッとやろうとする連中の相手などするはずもない。時間をかけて紡ぎあげるしかなかった物を横取りするがごとくファッションとして消費するためにその『ブランドの価値』を利用しようとしてくる腹黒さに、ビジネスとしては必要なことかもしれないが、冒頭のオーガニック然り、モヤモヤして仕方ないのである。逆に、編機が少ないという理由だけで付加価値をうたう工業もいる。リンクス(両頭)なんかは、そもそも丸編みでは少ないが、横編でいくらでも表現出来る。そして吊編みに近い生産性しかないので、工賃も高い。だから、生地として積み上げ算で売価設定しても、服になる頃にはニットでやった方が安いという『事故』はよくある。一般消費者にとって、ニットかカットソーかの差なんて関係ないだろうが、商品としてほとんど同じ面で作れるのに、カットソーの方が高くなるのは、アパレルメーカーにとって1ミリも得なことはない。ジャンル:カットソー=安い ニット>カットソーだから。だから、リンクスが高くなる原理はわかってるんだけど、市場価値としてはニットの方が高価と認められやすいことから、リンクス案件はだいたい「ニットでやった方が良いですよ」と言う。リンクス編機を保有しているニッターさんからしたら迷惑な話だろうが、事実だから仕方がない。それでもリンクスでやりたいと言う方には、もちろんリンクスで生地を作る。それはお客さんが決めることなので。でも大体はニットでやる。そのほうが彼らも売りやすいから。カットソーだから安く出来ると思って問い合わせてきてるから。これが事実で、要求してくる工賃と市場価値は一致していない。悩ましいもんだ。モヤモヤする。モヤモヤしてるからまとまりがない。

情報源の企て。

日本国内で製造されているテキスタイルの多くは、輸入された糸で作られている。特に定番的な綿の生地や、ポリエステル長繊維など、価格対応を求められる生地糸(生成りの糸)のほとんどは輸入糸だ。綿糸に至っては、原料を国産で賄うことは難しく、(無いことは無いが)ほぼ確実に輸入原料だ。紡績は国内加工だとしても、原料からフィニッシュまで純国産のテキスタイルの出会うことは一般流通している物を見ているウチはまず無いだろう。これが良いとか悪いとかっていう話では無い、むしろ、一般消費していく原料を生産している原産国が日本より安価に作れていることから、買う側のメリットとしては、輸入原料を使用した方が安いから良いに決まってる。ただ、安い原料で安い生地だけ作っても、テキスタイルの面白みは無い。ひたすら消費されるだけの製造業は、その主役が日本のテキスタイルメーカーではないことは、もう10年くらい前にはハッキリとわかってたことだ。そこでインポートの原糸(げんし)も、イタリアやスイスなど、ものづくりの『イメージが高い』糸を輸入して生地の差別化をはかるメーカーがいた。そして安価価格競争から一線を画す企画を打ち出しては、アパレルメーカーへ営業をかけたのである。これはこれで、喜んで買ってたアパレルも多いだろう。実際に大手問屋は、この手の仕掛けが上手い。実売で店頭消化率はどうであれ、アパレルメーカーの企画やバイヤーを説得させるのに、このものづくりの『イメージが高い』原糸はかなりの威力がその当時はあった。これらの情報源は、資本力のある問屋なら、自分で海外へ行き合同展示会や、地場の川上の情報を集めたりして、大手商社と組んで国内へ輸入してくる。しかし、自分たちで海外へ行けない(もしくは行っても見極めることができない)零細の生地工場たちは、その大手商社から流れてくるほとんど守秘義務とも言えないモノポリー情報を垂らし込まれ、船に相乗りして原糸を輸入するスタイルだ。つまりこの時点で、大手問屋の一次情報より遅れているので、完全なる二番煎じだ。そして企画スピードや商品展開の遅れで、商品企画して営業をかける際には、大手問屋の圧倒的後塵を拝するのである。そして零細工場は「良いものを作ってるのになんで売れないのだろう?」の壁にぶつかるのである。流石である。拍手。しかし、輸入シッパーで、原糸提案の情報源でもある大手商社はそんなことは関係ない。事前に大手問屋の手玉を教え、参画企業を募り、なるべく多くの契約を得て、現地で安く掴んだ玉を日本で高く捌く。以上、商売の基本に忠実なスキームだ。そこから先の零細工場が販売先から総スカンを食らっても、契約限月がきたら、現物引き取りを催促し、膨大な原糸を工場にデリバリーする。これで取りっぱぐれも、在庫負担もなくなる。真っ当な商売だ。商社を悪だと思ったかもしれないが、これは情報だけで玉を掴んだ零細にも当然責任がある。最終的に契約書を交わしているのは、他でもない、零細工場自身なのである。潰しが効かない商品を買ったところで、他社との差別化どころか在庫に苦しむのだ。もちろんチャレンジとして、新しい原糸を試すことは悪いことじゃない。しかし、まともな市場調査もしないで、人から聞いただけで「売れる」と思い込んだり、響が良いから売れるはずだと思うのは、これは如何ともしがたい。自業自得である。海を超えて活躍するはずだった原糸たちに、なんの罪もないのに、『売れない』レッテルを貼られて見切られていく姿は、彼らに感情があったとしたら、とてもやりきれない気持ちだろう。エシカルうたう前にそういう自分らの無駄をきちんと見つめ直していこうじゃないか。そのエシカルさえも商社の船に乗せられて輸入して、何がエシカルなのか見失う前に、意味を理解して自分たちのお客さんをちゃんと見て進んでいこう。一次情報はきちんと自分の手で掴んで、大手商社はその手伝いをさせるくらいのポジションに置いておくことをオススメする。テキスタイルショールームサービスを始めました。

夢と売上ノルマと生産ロット。

某アパレルメーカーの某DCブランドが事業終了の報せを受けて思うのは10年前の自分。あの頃は合同展示会にも参加するようになってて、某先生も直接生地をみてくれたりしてた。某先生は生地ハンガーを一通り見た後に僕のジャケットを掴み「あたし、コレにした!」って言われ「先生、僕は売り物ではありません」と柔らかく、でもしっかりと断ったのは懐かしい思い出である。さて、ファッション業界といえども、製造工業の方に入ってくると、ファッションとも思えないようなお客さんを相手にしなければならない時もある。そして案外、そのようなお客さんの方が、製造ロットを理解してそれなりにボリュームのある仕事をくれるし、値段は厳しくとも、安定的な売上が立ったりする。かたやファッション業界にせっかくいるのだから、大好きなブランドに営業をかけて、華やかな舞台の一端を担いたいという思いもくすぶるだろう。しかし、展示会ベースでの発注が基本の先が多いので、売上の波がはげしい。しかも時間をかけて提案しても、展示会内容によっては生産ロットがまとまらず年間取引額もそれほど生まれない。費用対効果としては正直しんどい場合もある。工業スレしてくると、結局は量と時間を優先して、ファッションブランド相手の仕事を面倒に感じて放棄してしまうこともある。営業という立場上、売上ノルマというのは事務方や工員など非営業の方々の食扶持をも担保しなければならないので、当然だがクリアしていかなければならない定量的目標だ。だから自分がやりたい先だけで売上(というか粗利)がまとめられない場合は、本位でなくとも、ファッションとも呼べないようなフィールドを相手にしなければならないこともある。そして先にも書いた通り、その世界の方が量も金額も安定性もあったりするのだから、精神的バランスを取るのは非常に難しくなってくる。結果、大好きなブランドに対して営業をかけるのをやめてしまうようになってしまったりする。これを批難することなど誰ができようか。夢だけでは、飯は食えないのである。ただ忘れてくれるな、この業界に持った憧れや夢を、密かに確実に燃やし続けるのだ。そして売り場に近いお客さんと繋がり続ける努力をするのだ。それがファッション業界に居続けるモチベーションになるのならば。それでもしんどくて辞めたい時は、たぶん居場所がこの業界じゃなかったのかもしれないときっぱり諦めるのも選択肢の一つだ。あるニッターさんが嘆いていた。某問屋の下請けニッターが振ってきた仕事が量は半端じゃないけど単価がキツいから受けたくないと。工業スレしてくると、量があれば値段キツくても喜ぶと勘違いしだす連中が一定数、いや、大多数存在する。彼らの表向きの看板は大体がデカイ工業だ、そして世間に対してはいっちょ前にわかってない『さすてなぶる』という横文字を公言している。え、何が?まじで。そんな大きい看板の下で振られた下請け工場は今日も日銭とは呼べない単価で機械回してるんだよ。これがメイドインジャパンクオリティサスティナブルだ。恐れ入ったか。現実ばかり追うとこういった歪みも出てくる。だから夢を諦めちゃいけない。量で圧迫して得られた金額は、結局、夢を追って手に入れた少量でもきちんと認められた金額とそんなに変わらなかったりする。あとは本当に必要としてくれている人をたくさん見つけて、少量をたくさん重ねていくことで、量で圧迫されたものを凌駕していくことも可能だ。お客さんのタイム感を把握して、凸凹が均されるような営業をかけれらるように工夫していくことで、夢も、ノルマも、ロットも上手いことクリアできるようになっていく。自分の動き次第で結果は変えられるのだ。

光と影。

表裏一体、光と影、物事には陰陽があり、必ずしも全てが美しいことばかりではない。僕が繊維業界に入るとき、生まれた家が縫製業やってたってものあって、キラキラした憧れみたいなのは最初からなかった。だって親が縫ってるしね、お店で売ってる服を。その背中をみて、華やかな世界だなんて子供心に思ったことなんて一瞬もなかった。その代わりに製造業に対する悲観もなかった。縫ってるおばちゃんたちはみんな楽しそうだった。10時と15時には休憩室でお茶しながら野菜や魚とか化粧品とか売りに来る人たち相手にわいわいやってた。子供ながらにその空間は好きだった。たぶん繊維製造工業が好きなのはこういう背景があるからだろう。元々影の部分を見てたからか、影を影とも思ってなかった。小学校高学年から中学で思春期になって色気付いて、オシャレに気を使うようになっても、服買うっつっても佐渡で一番イケてる店だと思ってたのは『ワークマン』と『アメリカ屋』だし、『アメリカ屋』でGAPって書いてあるパーカが高くて買えないから『しまむら』みたいな『たろべ』っていう超安い服屋でオーシャンパシフィックって書いてあるTシャツとかアディダスっぽい三本ラインが入ったジャージ買ってた。いや、親に買ってもらってた。この時はまだ、ファッションの光と影なんて知る由もない。高校生になって雑誌を読むようになって、ファッション業界が華やかなイメージのある舞台だということを知るようになった。コレクションってのがあって、デザイナーってのがいて、光が当たる人たちや世界があることを知った。そういう世界を初めてカッコいいって思った。高校三年の夏休みに洋裁学校の体験入学をして、そのままその学校に入学。洋裁を勉強して二年次終了前に教員にならないか打診を受け、三年次の学費が出せないのと、二年在学中すでに前職の丸編み工場にアルバイトとして勤務していたので、そのまま前職に就職。流れでこの業界に入ってきた。カッコいいと憧れを持ったアパレルメーカーへ行かなかったのは、というか、行けなかったのは、当時バリバリのバンドマンだったから、プロになると思ってたから、二足の草鞋は履けないと思ったからだ。工場ならいけると思ってた辺りは、若さもあってか、完全に舐めてたと思う。本当失礼なクソガキだ。そして工業へ入り数年、様々なお客さんのおかげで、光の舞台を共に作り上げる喜びを知る。光があれば影がある。光が当たる舞台を支えているのは埃や機械油にまみれた影の部分だ。絵をかけても、作る人がいなければ物はできない。前職時代に、光の部分に憧れて入ってきてくれる人たちに入社面接で必ず聞いてたことがある。「やめといたほうがいいよ、好きなだけじゃ続かない。思ってる以上に泥臭くてつまらなくてしんどいから、それでもやる?」って。我ながら性格悪い。びっくりする。本当に嫌な先輩だったと思う。でも、内定が欲しいからだろう、大体の人が「大丈夫です!」って言う。でも大体の人が三年もたない。確かに人間的なストレスもあっただろうし、単純に服作りに直結してる感覚が得難い仕事だ。モチベーションの維持は難しい。でも僕らは確実に光を支えているし、影だからといって悲観することなんて何もない。自分が関わった商品を着ている人を街で見かけた時に胸に満ちていく感動は言い表せない。胸張って言えるよ、僕は繊維製造工業が大好きだ。腹黒い奴らは多いし、頭カタイし、腰は重いし、でも、僕をここまで育ててくれた。そして何より、みんなが大好きなカッコいいファッションを支えてる。その理由があれば充分でしょ。

営業のセンス。

僕の性格上、自分の身の回りのモノやコトは自分で選びたい派なので、基本的にセールスは受けてなかったのだが、(最近は特に専門外の領域に関する営業は)勉強のためにも受けるようにしている。そしてたくさんの時間を割いてたくさんの人に会ってみてわかったことがある。当たり前だし単純なことなんだけど、自分のことばっかり考えてる人の営業はツマラナイということ。ツマラナイ上に、そのサービスや商品も魅力を感じない。(もしかしたら良い商品なのかもしれないが)全く欲しいと思わない。逆に、怖いくらい調べてくれた上で、「必要だと感じてもらえる自信がある」と自身が豪語するほど、「確かにそれは良いね」ってなるような人もいる。最終的には買わなくても、なぜ買わなかったかをきちんと聞きあげてくれた上に、「さらなる勉強を重ねて出直してきます!」と気持ちよく帰っていく人もいた。そんな人ならきっと、成約率は高いんだろう。前者と後者であれば、商品が同じだった場合、人は圧倒的に後者から買うだろう。このスタイルの差、実は『人による』ようだが『誰にでもできる』ことだ。ポイントは二つ。・調べられる限りの情報を事前に調べた上で、自分の商品とマッチするイメージを具体的に持って準備する。・商談中の会話キーワードから、自分の引出しにあるネタを柔軟に織り交ぜながら商品の使用イメージを融合させて話を進めていく。どちらも、準備の範囲でカバーできるが、後者は実戦経験から身につくものもあるし、プライベートで『遊び』を本気で楽しむことができたら、その経験が活かせる場面だったりもする。これに加えて、クロージング出来なかった際に、不要と判断されたポイントを理解していたら、具体的にどうして不要かと聞き出すことが出来たら改めて準備することで、次の成約率は非常に高い。この方法は業種に関わりなく、営業スキルとしてはどの時代もある程度有効だと思う。要は準備と経験値の問題。実戦で勝つためにしっかり相手を研究すること、また実戦でトライアンドエラーを繰り返す度胸と精神力が強く、実戦を通して学び活かせる人は比較的早く成長していくはずだ。期末ということもあり、三月はかなりの営業を受けた。特に今年度から新卒が入ってくる前の弾みつけなのかなんか知らんけど、社会人一年目が終わるという人が多かった。フレッシュなのは良いことだし、若さ故に許される部分もあるから、どんどん前に出たら良いと思う。だけど、実戦の場で「新人なので不手際があるかもしれませんが」の一言は、見りゃわかるし、そのような言い訳から入っちゃダメだよ。学校のテストで「あんまり勉強してなくて」って言って、点数が上がったか?商談テーブルは戦場だ。お金のやりとり、経営者にとってお金は身銭だから命のやりとりだと言っても過言じゃない。そんな人相手に、言い訳から入る時点でアドバンテージがもらえるほど甘くない。それは肝に命じて、今期社会人二年生頑張れ!

結果は常に自分との戦いの先にある。

イチロー選手は、僕が中学の時にメジャーへ行った。当時野球少年だった僕は野球で大した結果を残して来なかったけど、彼の一挙手一投足とその発言は大好きだ。心から尊敬している。飽きっぽい僕にとって野球より長く続いているのが、この仕事と、ベースを弾くこと。中でも人生で一番続いてるのがベースを弾くことだ。なんで続いてるかというと、やっぱり好きだからだ。好きだけど、仕事には出来なかった。まだわからないけど。今の所、音楽では食えてない。練習をものすごくした自覚はある。ただ、練習って淡々としてる部分もあって、傍目から見たらつまらなそうに見えることもあると思う。でもベーシストとして音楽を演奏するのがとてつもなく好きだから、そのステージに立つイメージを常にしていたから、練習は、僕にとっては、とても楽しかったし、今も弾いてる。図らずも、年2回開催されるイベントのベーシストとして起用してもらっているのは、他にも候補は居ただろうけど、運もありつつ、やっぱり続けているから掴めたチャンスでもある。チャンスはいつ来るかわからないし、「チャンスは待つもんじゃなくて掴むもん」って言う人もいる。そう思うし、めぐり逢えたきっかけにきちんとカタチで応える為に、日々を積み重ねていくしかないと言うのは、お涙頂戴の苦労話ではなく、真理なんだと思う。もちろん効率的に成功率を上げていく努力の仕方ってある。でもそれは試行錯誤でしか会得できない。いろんな書籍や教本があるけど、読破しても、結局は実践しないと身につかないのと同じ。27歳の時に、色々あってボーカルをやることになって、バンドメンバーからボイストレーニングに通うよう言われた。歌い手としてはキャリアは無いし、バンドとのキャリアを埋める為に必要なことだと思い、ボイストレーニングに通った。そこで出会った先生は、自分でも当然ライブをするアーティストで、彼が主催するイベントに歌い手として参加したこともある。でも、その先生はなんで先生で食ってるかと言うと、結局は自分の音楽で食えてないから収入が必要なんだ。今、僕は彼と付き合いは無い。なぜかと言うと、ブログでも「一生懸命リハしてます!次のライブは最高になります!」みたいな発信しかしてないし、ライブでも、自分がどれだけストイックにやったかを言っちゃってる。そんな人がエンターテイメントできるわけない。途中で気が付いた。『頑張ってる』ってことは人が認めること。自分で頑張ってると言うのは必ずその人の中に対比する相手がいる。そしてその人を下に見て、『自分の方がそいつらより頑張ってるから見る価値がある』と公言していること。つまり自己肯定を相対的にしている。これって成長しないよね。そこで満足しちゃってるんだから。そして、そんなこと言ってる奴のエンターテイメントなんてたかがしれてる。はっきり言って押し付けられた思想なんて誰も見たくない。音楽ってもっと楽しいもんだ。お金を払って見に来てくれた人に、「俺これだけ頑張ったからすごいでしょ!」って言うのは(そのレベルのパフォーマンスの人たちのアクトなんて)見てても全然楽しくない。マイケルジャクソンはステージで自分の苦労話をするだろうか。ファンなら聞きたいと思うかもしれないけど、初見でそんな話をする人を、それもエンタメとして完成されきってない人の話を、誰が聞きたいんだろう。好きなことを仕事にするのは別にいい。誰かに迷惑かけなければね。好きだからこそ出来ることもある。でも、その好きを仕事にしたら、自分で選んだ道に責任も伴う。お金をもらって何かをするということは、好き以上に、求められることがあるということ。その求められたことに責任が伴うということ。その責任を全うする為に日々しておく努力や準備が、パフォーマンスとして実戦で認められた時に、対価としてお金をもらえるということ。認められない世界を恨むなよ、それは認められる準備やパフォーマンスが出来てないだけだ。気付けてラッキーじゃんか、伸び代があるよ。独りよがりでは成立しない世界だよ。春だな、新社会人。

『スキ』を封印した話。

僕はファッションが好きだ。でも僕よりファッションを好きな人は五万といる。彼らと僕を比べることに意味はない。僕は僕で自分の好きな服装を楽しんでいる。生地を作るのも好きだ。自分の思う至高を極めて作り上げたテキスタイルがどんなに素晴らしいか、しかもそれがみんなに認めてもらえたら、なんてステキな世界だろう。でも、他人の至高と嗜好は僕のソレとは違う。これをこの業界に入ったばかりのころは履き違えてた。僕の『スキ』は、他人の『スキ』とは違う。当たり前だけど、この商売に関わってからはこの観点が欠落すると、商売として成立しなくなる。「ワシらの技術でエエもん作れる」は、わかる。でもそれが人々に求められてるかどうかはまた別の話なんだ。突き詰めることに対して否定はしない。むしろどんどん突き詰めて僕に教えてほしい。「コレをこうしたらこんなんができたんや!」良いじゃん、どんどんやってくれ、そして僕に教えてほしい。僕は職人のそういう少年のような喜びが好きだ。でも、それがさ、みんなに望まれてるモノかどうかは、また別の話なんだ。工業は時々、世間を悪者にする。僕はそれがとても恥ずかしい。だって貴方達の正義は、必ずしも世界の正義ではないから。それをわかった上で貫く正義は人に押し付けてはいけない。技術が好きならそれで良い。でもそれにどれだけ手間が掛かっても、世の中の価値観に沿わなければ、その価値は意味をなさない。それを理解してほしいんだ。音楽やってて、ベース弾いてて面白いのは、楽曲を司る面白さ、何より、その曲を聴いてくれる人たちに楽しんでもらえるように、リズムとメロディを繋ぐんだ。そこに自分のテクニックに酔ったエゴイズムは必要ない。全ては楽曲のため、聴いてくれる人たちのため、エンターテイメントを完成させるためなんだ。僕ら工業はさ、ファッションの表現を『作る』ことで支えてる。だからどんなに自分が「コレが素晴らしい」と思っても、誰かにとって意味のないものはどんなに好きでも評価はされないんだ。だから、『商売』と『自分の嗜好』は分けて考えなきゃいけない。それを混同するから、世間を悪者にしないと自分の中で折り合いがつかなくなるんだよ。自分の『スキ』は大切に育てていこう。でも人に押し付けるもんじゃない。良い物と、好きな物は、必ずしも同じじゃないんだよ。

実はあるところには仕事がちゃんとある話。

普段から地方のテキスタイルメーカーや工場の人と話す機会が多く、産地の生産状況を聞くのだが、ここ数年ほとんどの方が言うのは「今年のこの地域は最悪だ」である。丸編みの産地は色々あるが、どこかに限った話ではない。会う地域のほとんどの人が言ってる。毎年、最悪が更新されているのだと思うと、さぞ景気が悪いんだろうと思うしかないのだが、ふと近所のメーカーを見れば過去最高を叩き出している業者もあるので、一概にみんな悪い訳ではなさそうだ。そう、仕事をたくさん持ってる人は、実はちゃんといる。じゃあ、「悪い悪い」と言ってる彼らと、仕事をたくさん持ってる彼らの違いは何だろうか。まず考えられるとしたら、自社設備背景に固執しないスタイルで受注している企業は、「できないこと」が少ないので、基本的に受注間口が広く顧客さんが他の工場を探す手間を省くことができているので、顧客さんからすると「とりあえずこの工場に言えば何とかなる」という安心感を得ているケース。結果自社設備での受注も快調で、基本的に取り組みできている顧客さんのバジェットシェア率が高い。一社のそのジャンルをほとんど受注できている。その奥行きを持った顧客さんを何軒かまとめて掴めていたら生産ラインは割と安泰で、かつ、キャパオーバーでも外注比率を普段から高めにしているので売上が頭打ちになる心配も少ない。気にしておくべきこととしては顧客さんの勢いは絶対ではないので、常に新しい芽を探す努力をしていけば、順繰りと売上は平均化していく。今の工業でここまでできている会社は割と強い。もちろんこの方法では担当ベースのマンパワーは確実にあるので、「誰でもできるか?」と言われたら、「人による」としか言えない。ただ、少なくとも産地をまたがって背景を把握して工場同士で知り合っておくことは、この段階では非常に有効だし、そういう動きができてる工場さんに仕事が集中している感も否めない。やはり自社に固執していると「できないこと」が出てくるのでどうしてもその範囲でしか依頼がこなくなる。別にこだわりを捨てろとかそういった類の話ではない。何も無理に間口を狭める必要はないという話だ。次に、仕事たくさん持ってる人たちは、あんまりお客さんの文句を言わない。お客さんの質が良いと言ったら語弊があるかもしれないけど、結局自分の仕事の受け方で集まってくる人の属性が分かれていくので商売の結果はいつも因果応報、自業自得だと僕は思ってる。顧客さんが安定してなくてコロコロ取引先が変わってる人たちは、お客さんの方もあまり行儀が良いとは言えないけど、自分たちが提供している商品もお客さんが納得してないから顧客さんが安定しない。まさにクオリティも対応も「こんなもんやで」体質だ。総じて先細って「悪い悪い」言ってしまってる人たちは、頭が超カタい。もう、例えがねぇわ。とにかくカタい。僕の体くらいカタい。(ぜんぜん伝わらない)あとフットワークも重い。小錦。まずは仕事が集まっている人たちの動き方をよく観察してみるところから始めてみたら良いと思う。環境要因にしたがる人はこういうことを言っても耳に入ってこないかもしれないけど、世間が悪いんじゃなくて、「自分たちの動きが悪かったかも」と自責するところから入らないと、多分産地をまたがって工場背景持っても、その工場さんも協力してくれない。国内生産比率が下がってるとかいう『言い訳』とかもう「まじ今更?」だし、それ心配するほど取扱商品の業界シェア率高くないんだから絶対商売はどこかに行ってる訳で、それを受注できていない理由が環境要因でないことはそろそろわかってくれ。頼む。やり方はいくらでもあるから。(ただし見てる市場が国内ならゼロサム感はある)あと昨日も書いたけど、後ろ向きに放てるその膨大なエネルギーを前に向けていこうぜ。気持ちはわかってるから。そういうの飲み会で聞くから。前に、いこうぜ。せっかく良いもの作れるんだからさ。